和田裕子 Yuko Wada


1954  札幌生まれ
1975  北海道美術学校卒
1987  全道展、佳作賞
1988  全道展会友
1998  全道展会員

身近にある花や木を丁寧に描くことで知られています。
銅版画一筋30年以上。エッチングとアクアチントという技法を駆使しています。
1点仕上げるのに2ヶ月から3ヶ月はかかるという細密な描写力。
色彩に濁りが無く美しいのも魅力。花や木々の生命力、美しさに思いを込めた作品になっています。
個展は札幌のほか、帯広、函館、盛岡などでも開いており、合わせると20回以上となります。
北海道美術学校西洋画科卒。その後は殆ど独学。

最近の個展、グループ展

1990 個展(ギャラリー陶、帯広) さっぽろ窓辺展
1991 個展(ギャラリーたぴお、札幌)
1993 個展(ギャラリー青柳、函館)(ギャラリーたぴお、札幌)PLATE MARKU(大同ギャラリー、札幌)
1995 個展(ギャラリーSOH、帯広)(ギャラリーたぴお、札幌)
1996 個展(ギャラリーSOH、帯広)
1997 個展(ギャラリーたぴお、札幌)
1998 個展(六花亭ギャラリー、帯広)
1999 札幌美術展(市民ギャラリー・札幌)個展(エスポワールいわて、盛岡)(ギャラリーやま和、岩見沢)
2000 個展(ギャラリー喫茶風樹、南幌)
2001 PLATE MARK(大同ギャラリー、札幌)
2003 個展(ギャラリーたぴお、札幌)
2005 札幌美術展(市民ギャラリー・札幌)

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藤倉英幸  Fujikura Hideyuki


1948 北海道岩内生まれ
1974  札幌にてフリーのイラストレーター・デザイナーとしてポスター、カレンダー、 絵本、壁画デザイン、版画など幅広く活動する。
1992  JR北海道の月刊車内誌「THE JR Hokkaido」の表紙絵を担当。現在も継続中。

●主な個展
1988  「雪の時間」札幌
1990  「雪の想い」札幌・名寄、「ワークス90展」札幌
1992  「雪の音譜」札幌
1993  「作品集出版記念原画展」札幌・旭川・帯広・東京・大阪・長野・仙台
1994  「風の追憶」岩内
1996  「風の言葉」札幌「風物語」札幌・帯広・新千歳空港

●主な壁画
1986  キリンビール千歳工場
1989  国立滝野すずらん公園少年の家
1991  泊村役場著庁舎ホール
1995  北海道警察本部ロビー

●作品集
1986  「山の村 海の村」北海タイムス社
1995  「北を旅する人へ」あすか書房・教育書籍

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手島圭三郎  Tejima Keizaburou


1935年 北海道紋別市生まれ
1957年 北海道学芸大学札幌校卒業
1982年 「しまふくろうのみずうみ」で「絵本にっぽん賞」はじめ
数々の賞に輝く。
1985年 「カムイチカプ」厚生省児童文化福祉奨励賞。
1986年 「きたきつねのゆめ」イタリア・ボローニャ
国際児童図書展グラフィック賞。
1987年 ニューヨークタイムズ紙選世界の絵本ベストテン(2年連続)
1992年 ニューヨーク国連地球サミットポスター制作
1997年 「おおはくちょうのそら」ドイツ児童文学賞
絵本部門・ノミネート賞

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沢田哲郎  awada Teturou


1935年 11月5日、北海道小樽市に生まれる。
1942年 小樽市立奥沢国民学校入学。
1948年 小樽市立奥沢東山中学校に入学。
1949年 札幌に移住。札幌市立向陵中学校に転入。
1951年 北海道立札幌西高等学校入学。
1953年 第28回道展に初出品、以後出品。
1954年 札幌西高卒業。道展・奨励賞受賞。
1955年 第19回自由美術展初出品、道展・札幌市長賞受賞・道展会友推挙。
1956年 北海道新人作家協会結成に参加。
1957年 武蔵野美術学校・第二本科西洋画専攻入学 道展会員推挙。
1959年 武蔵野美術学校同校の図画工作教員養成科に移る(60年中退)
北海道新人作家協会「新人31人」展出展。
1960年 自由美術協会会員。道新人作家協会発起人。銀座・村松画廊個展。
1962年 上野憲男、沢田哲郎二人展。
1963年 小松清、沢田哲郎、芹田英治、高橋由明四人展。
1964年 小谷、熊谷、手塚、八鍬と8(∞)の会展(札幌)。
1966年 北米、中南米を旅行('67年まで)
1967年 サンパウロ・ガリレア セッタで個展。初版画(リトグラフ)制作
1969年 サンパウロで楠野友繁と二人展(ブラジル日本文化協会)開催。
1971年 リオデジャネイロ・ガリレア コパカバーナパレスで個展
以降南米で個展多数開催。東京・フランネルGで個展。
1972年 第15回 安井賞展出品。
1974年 日本橋・三越で個展。版画制作(シルクスクリーン)本格化。
1977年 「新技法シリーズ抽象画を描く」刊行。クリーブランド・ヒグビーGで個展。
1978年 サンパウロGデアルテアンドレで個展。帯広・近藤病院にガラスモザイク壁画制作。
1980年 第5回ノルウェー国際版画ビエンナーレ審査員賞受賞。
1981年 東京トールマンGで個展。
1982年 ホノルル・キュレーターGで個展。北広島病院タイルモザイク壁画制作。
1983年 モントリオール・フランソワGで個展。沖縄・神田画廊で個展。
1985年 ロンドン・インターナショナルコンテンポラリーGで個展 。
1986年 自由美術協会脱会。シアトルアメリカンG等アメリカ各地で個展開催。
1987年 版画集“SCAPES”刊行。ピッチバーク・ブラックウッドGで個展。
1988年 カルフォルニア・ジャストルッキングG等アメリカ各地で個展開催。
1989年 沢田哲郎作品集“SKY SCAPE”(阿部出版)刊行。
1994年 「札幌アバンギャルドの潮流展」(札幌近代美術館)出品。
1997年 銀座・和光ホール沢田哲郎展―色彩と光の調和」
1998年 1月16日、死去
2004年 武蔵野市立吉祥寺美術館で
「受贈記念 沢田哲郎シルクスクリーンで描く心の風景」展
市立小樽美術館で「TETSURO SAWADA展 SCAPES」開催。

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松見八百造  Matumi Yaozou


1914年 函館生まれ
・・・・石版画工となり商業デザイン研究
1938年 三越札幌支店入社 宣伝担当
1942年 北海道新聞社編集局図案課 入社
1960年 版画制作を始める
・・・・道美術協会、日本版画協会 出品
1962年 阿部貞夫と共に日本版画会に出品
・・・・美術協・道版協 退会
1963年 日本版画会会員に推挙 以後毎年出品

著 書
えぞまつ豆本「版画あらかると」
更科源蔵共著「続々北海道絵本」
書票集「北の旅人」

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藤田不美夫  Fujita Fumio


1933年 愛知県半田市に生まれる
1955年 武蔵野美術学校卒業
現在 無所属
個展・グループ展で活躍中
神奈川県厚木市在住

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西村一夫  Nisimura Kazuo


1947 滋賀県彦根市生まれ
1972 道展(新人賞、'73知事賞)
1973 日本版画協会展、版画グランプリ展(東京)、個展(札幌)
1974 イラン(イスファハン)在住、この間に14カ国訪問(〜'76)
1977 東京芸術大学大学院ヴィジュアルデザイン科修了、道展会友推挙
1978 個展(札幌時計台ギャラリー以後毎年開催)
1979 北海道現代美術展(北海道立近代美術館'80'81'82)
1983 北海道の美術'83(北海道立近代美術館'84'87)
1984 札幌ポートランド版画交換展(ポートランド/USA)
1986 現代版画コンクール展(大阪)、版画の新世代展(札幌'88'90'94)
CWAJ現代版画展(東京アメリカンクラブ'90'91'95'96'99.2000)
1988 個展(丸の内画廊/東京)
1991 個展(A.Jain MArunouchi Gallery/NewYork'95'98'99'01'02'03)
1995 個展(ギャラリーパリス/横浜)
1996 個展(養清堂画廊/東京以後隔年開催)
1999 北海道版画協会創立40周年記念展(北海道立近代美術館)
2000 Asian Art Now 2000(ラスベガス美術館/USA'01'02'03)
収蔵 メリーランド大学(USA)、北海道大学医学部、芽室町健康プラザ
現在 北海道美術協会、北海道版画協会各会員

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西村一夫の水彩作品へ






成田泰明  Narita Taimei


大正10年(1921)−平成10年(1998)
北海道旭川市生まれ
昭和39年頃から高橋北修に師事して、油絵を学ぶ
昭和47年 創元会展で次賞、全道展で奨励賞を受賞
昭和56年頃から独学で墨彩画、版画を始め、
個展を中心に作品を発表個展総数187回
(主な会場-東京大丸、千葉そごう、横浜そごう、水戸三越)

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成田泰明の水墨手彩作品へ






江川博  Egawa Hirosi


1937年 北海道夕張市生まれ
1980−82年 「北海道現代美術展」/北海道近代美術館(札幌)
1983年 「北海道の美術’83北のイメージ展」/北海道近代美術館(札幌)
1991年 札幌時計台文化会館美術大賞展一原有徳賞/北海道時計台ギャラリー(札幌)
1992-99年 「札幌美術展」/札幌市民ギャラリー(札幌)
1994年 「札幌アヴァンギャルドの潮流展」/北海道近代美術館(札幌)
1998年 「北海道の創造者たち’98知覚される身体性展/札幌芸術の森美術館(札幌)
2000−'01,'04,'07,'09,'11年 個展/みゆき画廊(銀座)
2003年 「画家たちのイマジネーション展」/北海道立旭川美術館(旭川)
2004年 「札幌の美術2004 20人の試み展」/札幌市民ギャラリー(札幌)

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セルジュ・ラスス  Serujyu Rasusu


1933年 フランスの南西部のBiarritzに
生まれる。
パリのArt Appliquesに学んだ。
1959年以降フランスを始め、
USA、スペイン、ドイツ、日本と
世界各国で展覧会が開かれている。
ニーム絵画展第一位、
マドリッド新進作家展第一位等の
多くの受賞歴を有す。






クロード・マルス  kuroudo marusu


1942年フランスで生まれる。
パリの絵画・アトリエ数箇所、特にモンパルナス地区 そしてヴォージュ広場のアトリエで学んだ後、ギャラリー 「ラ・グランド・ショミエール」で働いた。
また、彼女は数回にわたってインド、ネパールのカトマンズの 芸術村に滞在したことがある。
フランスや外国における多くのイベントにも参加している。
フランスでは近代芸術サロンミルマンド
外国ではイタリア・インド・台湾。
マルスは自然に強く魅かれ、彼女がその美しさを 最大限に描くことができる花の構図を得意とし、 現在ドローム県のディユールフィット村に暮らし、制作している。

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井上まこと  inoue makoto


北海道の自然豊かな地に生まれる
人との出会い、自然との触れ合いを求めて
道内各地を訪ね歩く。
同じ場所、同じ季節に訪れても
全く違う表情に魅せられ
何度もその地を訪れる事がある。

その地であなたの横にいるのが
”井上まこと”かもしれない

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竹久夢二  Takehisa Yumeji


1884年 岡山の造り酒屋の次男に生まれる。
1902年 早実入学。
1905年 「文章世界」コマ絵 1等。
1906年 東京日々新聞連載。
1907年 岸たまきと結婚。読売新聞社入社。
1909年 絵入り小唄集「春の巻」ベストセラー
その後ロマンチックな夢二美人は、超人気となり
社会風潮にまでいたる。
1915年 女子美生、彦乃と結ばれる。
1918年 「宵待草」全国に流行。
1934年 結核にて49歳の生涯となる。






大島龍  Ohsima Ryu


1946年 札幌に生まれる。
1966年 舞台美術を頼まれ(東京)、以後演劇にのめり込む。
20代は芝居と放浪。
奥多摩山中の無人の旧家で3年自給自足の生活をする。
1972年 谷中安規に触れて木版画を始める。
1977年 個展(札幌/大同ギャラリー、高知/創流舎

以後毎年全国各地で1回から3回ほど個展を開く

1984年 アメリカ、カナダ、メキシコを巡る。
アメリカ、カナダにて個展、招待展。
1989年 リブリアナ国際版画ビエンナーレ(ユーゴスラビア)、
優秀作家抜粋展(東京)
1990年 カナダ美術賞展、オーストラリア国際版画展、他
1991年 ペルー美術賞展。ネパール・ヒマラヤ・チベットを巡る。
1993年 スペイン美術賞展。
1994年 中国美術賞展。
1996年 スペイン美術賞展。
1998年 創作木版画展(東京)。
1999年 青の絵展(札幌)、卯展(豊橋)。
2000年 石狩旧生振公民館で「オオカミ」制作。 東京/ゆう画廊 大島龍・高橋渉二展。
2002年 川の絵大賞展・特別賞受賞(加古川)、
川上澄生木版画展大賞展(鹿沼)。
 
コレクション
石狩市民図書館(北海道、石狩)
ウエストパック美術館(メルボルン)
経団連ゲストハウスコレクション(静岡、小山町)
新日鉄エレガホール(室蘭、ステンドガラス)等

著書
詩画集「山鬼抄」、画文集「北の鳥のいる書票」
詩集「愛のナイフ」「連夢詩編」
戯曲集「日出ずる処の天子、日没する処の天子に致す」
詩劇「水の女神」他

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葛飾北斎  Katusika Hokusai

1760-1849

かつしか ほくさい 1760-1849

北斎は、宝暦10年(1760)江戸本所割下水に生まれました。
19歳で勝川春章に弟子入りし、翌年には春朗と名乗り勝川派風の役者絵を発表。
他の絵師に比べて遅咲きの絵師であり、北斎の名を不動のものとした
「富嶽三十六景」を手がけたのは、七十歳を過ぎてから。
森羅万象あらゆるものの真を描くことに執念を燃やし、老いてなお、
その制作意欲は衰えることなく、九十年の生涯で、数多くの作品を残した。
1999年、米ライフ誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」 に唯一選ばれた日本人であり、近年最も注目を集めている浮世絵師です。

「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」

葛飾北斎の代表作にして、浮世絵風景画の代表作。
「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴」は、余りにも有名です。
このシリーズは天保初年ごろより、西村永寿堂から出版されました。
初め、題名の通り36図出版されましたが、非常に好評であったため、
後から10図が追加され、最終的に46図のシリーズになりました。
(当初の36図を「表富士」、追加の10図を「裏富士」と呼びます。)
全図に富士山が描かれていますが、46様それぞれの個性的な富士山の姿は、
いつまでも見飽きることがありません。

「藍摺絵」と呼ばれるモノトーンの作品なども含まれ、
様々な趣向を凝らしたシリーズです。
当時、人々の間には、富士山に対する篤い信仰がありました。
富士山に集団で参拝する「富士講」が盛んに行われ、
富士山に見立てた築山「富士塚」が江戸の各地に作られました。
こうした社会的風潮の中で「富嶽三十六景」は生まれ、爆発的ヒットをとばしたのです。 いつの時代も日本人の心の中にある富士山の姿。
「富嶽三十六景」は、単なる風景画の域を超え、日本人の心の風景を描き出しています。

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河野薫  Kawano Kaoru


1916年 長男として小樽市に生まれる。
1923年 美術教師成田玉泉に出会う。斎藤清と知り合う。
1930年 中学2年生で第6回道展入選。棟方志功を成田に紹介される。
1932年 第8回道展に、光土社展に出品。
1933年 中学5年生第一美術展に入選。
1934年 中学校卒業後美術家を志して上京、川端画塾などで学ぶ。
1936年 先輩、斎藤清の紹介で出版社野ばら社に入社。
1939年 『写生資料』『図案資料』野ばら社から出版。
1944年 第13回日本版画協会展初入選。日本版画協会展再入選。
1950〜1954年 小樽市立潮見台中学校図工教員となる
。 1952年 国画会展初入選。
1954年 日本版画協会会員に推薦される。版画家を志して上京。
1955年 第29回国画会展国画奨学賞受賞。ユニセフカレンダーに掲載。
1957年 全道展会友。
第31回国画会展、現代日本版画展推薦出品。
オレゴン、ニューヨーク、シカゴ、コロンボ、ユーゴスラビアで推薦出品。
1958年 第32回国画会展、現代版画秀作展出品。
ニューヨーク・スイスで作品出品。現代木版画秀作展出品。
国画会版画部会友に推薦される。
小樽市潮見台から転出、東京都練馬区南町(現練馬区羽沢)に入る。
1959年 第33回国画会展、日本版画協会第27回版画展出品。全道展退会。
アメリカ・イギリス各地でグループ展、版画展。
1960年 ニュージーランド・イスラエルでグループ展、シアトル個展。
1961年 第35回国画会展出品。以後第40回まで毎年出品。
国画会版画部会員に推薦される。
フィリピン・アメリカ・オーストラリアでグループ展、アメリカで個展。
1962年 斎藤清と河野薫展アメリカ開催、河野薫22点、斎藤清26点展示。
イギリス・アメリカ・オーストラリア・コロンビアでグループ展。
第30回日本版画協会展版画展、現代日本版画展出品。
ニューサウズウェールズ美術館(オーストラリア)同国内巡回
「日本現代版画展」(マイアミ他)、他出品。
1963年 第31回日本版画協会展出品。
「日本現代版画展」(アメリカ)出品。
1963〜1964年 「日本現代版画展」アメリカ国内巡回 出品。
1964年 日本版画協会第32回版画展出品。
「日本現代版画展」(ニュージーランド、デンマーク)出品
1964〜1965年 デンマーク、スウェーデン、イタリア 現代日本版画展に出品。
1965年 日本版画協会第33回版画展出品。クアラルンプール 現代日本版画展に出品。
1965年 永眠。49歳。
1966、67,73,76,2005年「河野薫遺作展」各地で開催。

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北岡文雄  Kitaoka Fumio


1918年東京に生まれる。
1936年東京美術学校油絵科に学ぶ。平塚運一と会い木版始める。
1955年仏、伊、英留学(長谷川潔に教示を得る)。
1956年帰国後札幌に住み全道展会員になる。
1957神奈川県相模原市に転居。1987年道銀カレンダーに採用。
1989年札幌・そごうで個展(幽子夫人遺作展同時開催)
1990年日本美術家連盟理事長就任(〜’96年)。
1993年道立近代美術館個展。
1995年NHKサービスセンター企画世界文化遺産シリーズ始める
1997年勲四等旭日小綬章受章。2007年4月22日死去

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前田政雄  Maeda Masao


まえだ-まさお

1904−1974 大正-昭和時代の版画家。
明治37年12月4日生まれ。
油彩画から木版画に転じ,平塚運一にまなぶ。
恩地孝四郎主宰の一木会にも参加。
昭和7年日本版画協会の会員となる。
昭和18年国画会の会員となる。

風景版画がおおく,量感のある山岳風景画で知られた。
昭和49年3月27日死去。69歳。
北海道出身。川端画学校卒。
 






関野準一郎  Sekino Jyunitiro


1914ー1988年 青森県に生まれる
青森県文化功労賞受賞
芸術選奨文部大臣賞受賞
紫綬褒章 勲四等旭日小受章 授与

日本の版画を世界の版画に育て上げた関野準一郎。
国際的な賞を数多く受賞するなど、
日本を代表する版画家の一人です。
繊細な彫り斬新な構図。
伝統的な風景もモダンな雰囲気を漂わせ、
新鮮な感動を与えてくれます。

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八木 知子  Yagi Tomoko 


多摩美術大学
美術学部デザイン学科
全道展 会友

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秋山巌  Akiyama Iwao


あきやま いわお
1921年 大分県に生まれる
1953年 太平洋美術学校卒業
1954年 日本版画院に入会、棟方志功に師事
1954ー77年 太平洋美術展、日本版画院展、現代版画選抜展
現代日本美術展等に出品
1977年 志功門下4大弟子展に参加

個展  国内38回 海外7回開催

受賞  太平洋美術展、日本版画院展に於いて優秀作家賞、
秀作賞、努力賞受賞、その他11回受賞

収蔵  オーストラリア、イスラエル、アメリカの美術館等

現在  太平洋美術会理事、日本美術家連盟会員

千葉県松戸市在住

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加藤東一  Kato toiti


かとう とういち
1916年(大正5年)1月6日 - 1996年(平成8年)12月31日 )
日本画家、日展理事長 兄は日本画家の加藤栄三。
1916年(大正5年) 漆器商の五男として、岐阜市美殿町で生まれる。
1947年(昭和22年) 東京美術学校日本画科卒業。第3回日展「白暮」初出品、初入選。
1948年(昭和23年) 山口蓬春に師事する。
1952年(昭和27年) 第8回日展「草原」特選受賞。
1955年(昭和30年) 第11回日展「砂丘」特選および白寿賞受賞。
1969年(昭和44年) 藤沢市鵠沼に居住。
1970年(昭和45年) 改組第2回日展「残照の浜」内閣総理大臣賞受賞。
1977年(昭和52年) 前年の日展出品作「女人」で日本芸術院賞受賞。
1984年(昭和59年) 日本芸術院会員となる。
1989年(平成元年) 日展理事長となる。
1991年(平成3年) 第1回岐阜市民栄誉賞受賞。
1993年(平成5年) 鹿苑寺(金閣寺)大書院障壁画完成。
1995年(平成7年) 文化功労者。
1996年(平成8年) 岐阜市名誉市民となる。
1996年(平成8年) 肺炎のため没。享年80。勲二等瑞宝章を受ける。
1997年(平成9年) 藤沢市名誉市民となる。

加藤栄三・東一記念美術館へ
加藤東一作品へ  






アンリ・マチス  Henri Matisse


1869年 12月31日ノール県ル・カトーに生れる。
最初、法律を修め、代訴人書記となる。
1889年 この頃からデッサン、絵画に興味をおぼえる。
1892年 画家となるためパリに出る。
1995年 エコール・デ・ボーザールのギュスターヴ・モローの
教室に入り、ルオーらと知り合う。
1896年 サロンに初出品、国家買い上げとなる。
1896年 師モローが死ぬと、翌年アカデミズムから離れ、
パリのアカデミー・カリエールに通い、ドランらと知り合い、
その紹介でヴラマンクとも知り合う。
その前後の一時期新印象主義に近づく。
1904年 ボラールの画廊で最初の個展。
1905年 夏をドランとコリウールですごし、
ともにフォーヴィスムに達する
(『コリウールの窓』1905年、ニューヨーク、ジョン・ヘイ・ホイットニー蔵など)。
翌年ガートルード・スタイン宅でピカソと出会う。
この年アルジェリア、翌年イタリアに旅行。
1911年 2年続けてモロッコへ旅行。
この時代からさまざまな空間表現の実験、
装飾的要素の大胆な使用を試みる。
1916年 この年から冬をニース、夏をパリですごすことが多くなり
「オダリスク」の主題を好んでとりあげる。
1922年 版画を積極的に制作。
1933年 アメリカ、メリオンのバーンズ邱の壁画『ダンス』
を制作以後、平面化と単純化の試み(『バラ色の裸婦』
1935年、ボルティモア美術館など)をへて、
40年代の大室内の連作に達する
(『赤い大室内』1948年、パリ、国立近代美術館など)
1943年 南フランスのヴァンスに定住、
切り紙絵に専心し『ジャズ』として出版(1947年)
1948年 建築のプラン、壁画、ステインド・グラスなど
すべて自身の構想になるヴァンスの礼拝堂を完成した。
1954年 11月3日ニース郊外のシミエで死去。






サビィ  SAVY


1945年 パリに生まれる。
グラン・ショミィエールに学ぶ。
プラスティック美術の教師になる。
1970年 マドラスでの個展以後、
パリ、ワシントン、ギリシャ等
世界各国で展覧会を開催する。






マリー・ローランサン  Marie Laurencin


1883年にパリで私生児として生まれた
(ただし、資料によっては1885年生まれとなっている)
父はのちに代議士となったアルフレッド・トゥーレ。
マリーは彼が父親だということを長い間知らなかった。
母はポーリーヌ・メラニー・ローランサン。
ラマルティーヌ高校に学び、
画家を志し、アカデミー・アンベールで絵を勉強する。
ここでジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビズムの影響を受けた。
1907年にサロン・ド・アンデパンダンに初出展。
このころ、ブラックを介して、
モンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)で、
ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合う。
アポリネールと出会い二人は恋に落ちた。
だが1911年にアポリネールがモナ・リザ盗難事件の容疑者として
警察に拘留された頃には(彼は無罪であったが)
、 ローランサンのアポリネールへの恋愛感情も冷めてしまった。
1912年に開いた最初の個展は評判となり、
その後、次第にキュビスムから脱する。
30歳になる頃にはエコール・ド・パリの新進画家として
知られるようになった。
1914年にドイツ人男爵(オットー・フォン・ベッチェン)と結婚。
これによりドイツ国籍となったため、第一次世界大戦が始まると
はじめマドリッド、次にバルセロナへの亡命生活を余儀なくされた。
戦後、1920年に離婚して単身パリに戻る。
パリに戻ったローランサンは、パステルカラーの簡潔で華やかな
夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、
フランス史上狂乱の時代(Les Annees Folles)1920年代にあって、
時代を体現した売れっ子画家となった。
パリの上流婦人の間ではローランサンに肖像画を注文することが流行。
また、舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功した。
第二次世界大戦の際はフランスを占領したドイツ軍によって
自宅を接収されることもありながらも、創作活動を続けた。
1954年、シュザンヌ・モローを正式に養女とする。
1956年にパリにて死去した。
離婚後はバイセクシャルでもあった。






渡辺禎雄  Watanabe Sadao


(わたなべ・さだお、1913-1996)
1913年東京都生まれ。
1941年に染色工芸家の芹沢_介(せりざわ・けいすけ、1895-1984)に師事。
1947年に第1回日本民芸館賞を受賞。
アメリカ・ニューヨークのセント・ジェームズ教会主催の「現代日本画展」にて1等賞を受賞。
1970年代以降にアメリカ、ヨーロッパ各地で作品展を開く。
1993年に日本キリスト教文化協会より文化功労賞を受賞。
1996年に死去。
2004年にローマ日本文化会館の主催により個展を開く。

生涯に約1000点の型染め版画を制作した。 「型染め版画」とは伝統的な染色の技法を使った版画で、着物などを染める際に
型紙を使って布の上に防染糊を置き、染色するが、その技法を版画に応用したの
が型染め版画である。布の代わりに和紙(または合成紙)に染色していくが、その
際に、最初に染めない部分に糊を置くという方法を用いる。
独自の型染め版画でキリスト教の精神を描いた。作品はバチカンのシスティーナ礼
拝堂に10点が飾られている。
戦後、版画家として歩み、およそ50年の間に手すきのもみ紙によるカラーの大判
作品を型紙だけでも数百点、染めた版画枚数にして数千枚、無限定の小品は数え
切れないほどの多くの作品を制作してきた。それらの多くは、国内はもとより、
海外、主にアメリカで受け入れられ、熱心な愛好家を生みだしている。

渡辺禎雄の型染め版画作品へ






原精一  Hara Seiiti 


はら-せいいち

1908−1986 昭和時代の洋画家。
明治41年2月27日生まれ。
万(よろず)鉄五郎に師事。
春陽会展出品の「シュミーズの女」「化粧」などで
春陽会賞,佐分(さぶり)賞を受賞。
戦後は一時国画会に属した。
素描力にすぐれ,おおくのデッサン展をひらき,
「原精一デッサン集」を刊行。
昭和50年女子美大教授。
昭和61年5月3日死去。
78歳。神奈川県出身。






伊藤清永  Ito Kiyonaga


いとう きよなが
1911年2月24日 - 2001年6月5日
昭和期の洋画家である。裸婦像の名手として知られる。

兵庫県出石郡出石町下谷(現在の豊岡市)生まれ。
日展および白日会を中心に活躍した。
元愛知学院大学教授。

1911年 - 兵庫県出石町下谷に生まれる
1928年 - 岡田三郎助門下生となり本郷研究所入所
1935年 - 東京美術学校油絵科卒業
1936年 - 文部省美術展で「磯人」が選奨(特選)受賞
1947年 - 日展で「I夫人像」が特選受賞
1948年 - 日展で「室内」が特選受賞
1953年 - 伊藤絵画研究所創設
1956年 - 日展審査員
1962年 - 渡欧し、フランスとオランダで制作
1977年 - 「曙光」が日本芸術院恩賜賞および日展内閣総理大臣賞受賞
1984年 - 日本芸術院会員
1989年 - 兵庫県文化賞を受賞し兵庫県公館に
作品が展示保存される。出石町立伊藤美術館開館
1996年 - 文化勲章受章
1997年 - 「伊藤清永賞子ども絵画展」創設
2001年 - 長野県軽井沢町の病院で逝去

伊藤清永美術館へ






パブロ・ピカソ Pablo Ruiz Picasso


1881 10月25日、スペインのマラガに生まれる。父を師とする。
1897 首都マドリードのサン・フェルナルド王位アカデミー入学したが
間もなく退学。世紀末バルセロナ『モデルニスモ』の運動に身を投じる。
1900 パリに行きトゥルーズ・ロートレックの影響を強く受ける。
1901 『青の時代』を開始し、パリとバルセロナを何度か往復する。
1905 『バラの時代』に入り、『青の時代』の厳しさを和らげ、
旅芸人やサーカスを主題に描く。
1906 古典主義的傾向に移行する。
1907 20世紀絵画の出発点とされる『アヴィニョンの女たち』を描く。
1908 ブラックと共にセザンヌの芸術に暗示を受けてキュウビズムを
創始し、三次元的現実の概念を二次元的絵画に翻訳する
『概念のリアリズム』の造形的研究を開始する。
1921 『三人の音楽師』において、分析的、及び、
総合的段階を経てその探求の完結を見る。
1924 コクトー(Jean Cocteau 1889-1963)の『バラード』を手始めに
ディアーギレフを団長とするバレイ・リュッスの装置や衣装のデザイン
に協力する。その後は、キュビズムによる対象解体および再構成の
イディオムを借り、また、第一次大戦中から行っていた新古典的主題
の両方からシュルレアリズムに近づく。
1937 『ゲルニカ』は最大の傑作の一つである。
第二次大戦中は、人間性の危機感を作品に反映して描いたが、
戦後は様式や形式にとらわれない自由な制作を続けた。
1944 マネの『草上の食事』など過去の巨匠たちの絵画を改作した作品を
しばしば描く。
1953 この年より晩年まで、版画や素描を中心に自己表現的な
『 画家とモデル』のテーマに集中し、版画の『347シリーズ』等多くの
作品を生んだ。
1955 ヴァロリスに移り住む。
1958 エクス=アン=プロヴァンスに買ったヴォーヴナルグ城と
ヴァロリスを往復した生活をする。
1960 ムージャンに移る。
1973 4月8日、南フランスのムージンの別荘で91歳の生涯を閉じる

ピカソの作品へ






中川一政 Nakagawa Kazumasa


なかがわ かずまさ
1893年2月14日 - 1991年2月5日
東京都生まれの洋画家、美術家、歌人、随筆家である。

経歴 [編集]1893年 東京本郷に生まれる
1914年 巽画会展に出品した作品が岸田劉生に見出されて画家を志す
1920年 初の個展(油彩)を開く
1922年 小杉放庵らと「春陽会(しゅんようかい)」設立に参加。
1931年 水墨画の個展を開く
1949年 神奈川県真鶴町にアトリエを構える
1975年 文化勲章を受章 文化功労者表彰
1986年 母の故郷である石川県松任市(現白山市)
に松任市立中川一政記念美術館(現 白山市立松任中川一政記念美術館)が開館
1989年3月 真鶴町に真鶴町立中川一政美術館
(設計 柳澤孝彦/第15回吉田五十八賞受賞,第33回BCS賞受賞)が開館した。

真鶴町立中川一政美術館へ
白山市立松任中川一政記念美術館へ






星 襄一 Hosi Jyoichi


[ ほし・じょういち ]

1913 新潟県北魚沼郡小出町(現・魚沼市)に生まれる
1932 台南師範学校卒、台湾にて教職13年
1946 台湾より引揚げ、生地にて謄写版印刷業を
営みながら孔版画を始める
1949 日本版画協会展で根市賞受賞
1952 日本版画協会会員となる
1956 武蔵野美術学校西洋画科卒
木版画独習
1959 国画会展に「水」を出品、国画賞受賞
十日町合成工業の製品「スノリア」のデザイン顧問(〜67年)
1960 国画会会員となる(71年 国画会退会)
第2回東京国際版画ビエンナーレに出品
以後74年までサンパウロビエンナーレ他様々な国際版画展に出品
1965 十日町市の江戸屋織物の依頼により
木版手摺り塩瀬帯の製作に携わる
1975 第1回日本縦断 星襄一 木版画展(6都市)
オーストラリア旅行
1976 星襄一 木版画自選展(7都市)
1977 モンゴル取材旅行 個展(6都市)
1978 第2回日本縦断 星襄一 木版画展(8都市)
1979 個展(3都市)
6月17日病没 享年65歳 11月「星襄一自選作品集」発行(阿部出版)

星 襄一の作品へ






並木一 Namiki Hajime


なみき はじめ

1947年東京・墨田区に生まれました。
1965年より、彫刻家 小倉茂山に師事しました。
彫刻家として活躍していましたが
1979年より版画を作り始め、欧米諸国に人気を集めています。
日本の巨樹シリーズをはじめ、
金箔、銀箔を使った技法を用いた作品は、
多くの人々に愛されてきました。
海外の美術館でも扱われている作家のひとりです。
作品はすべて、自刻自摺りです。






熊谷守一 Kumagai Morikazu


くまがい もりかず

1880年 4月2日、岐阜県の地主で機械紡績を営む事業家の家に生まれた
1897年 慶應義塾普通科に一学期のみ通学
1898年 共立美術学館入学
1900年 東京美術学校入学。山梨県や東北地方を巡るスケッチ旅行
1905年1906年(明治39年) 樺太調査隊に参加しスケッチを行う
1909年  第三回文展に「蝋燭」を出展
1913年頃 実家へ戻り林業などの日雇い労働の職につく
この時期作品は「馬」他3点のみ
1915年 再び上京。第2回二科展に「女」出展
後に軍の圧力で二科展が解散されるまで毎年作品を出品
1922年 大江秀子と結婚
1929年 二科技塾開設に際し参加。後進の指導に当たった
1932年 後々、池袋モンパルナスと称される地域
(現在の豊島区椎名町〜千早)の近くに家を建て
、 残りの生涯をこの家で家族、猫、鳥たちと過ごす
1985年に《熊谷守一美術館》として立て替えられ
次女・熊谷榧が館長を務める
1947年 二紀会創立に参加
。 1951年 二紀会退会。無所属作家となる
1956年 脳卒中。以降写生旅行を断念
1968年 文化勲章辞退
1972年 勲三等叙勲辞退
1976年 「アゲ羽蝶」(絶筆)
1977年 8月1日、肺炎で死去。享年97

熊谷守一の作品へ
熊谷守一美術館へ
熊谷守一記念館へ






ヴィクトル・ヴァザルリ Victor Vasarely


ヴィクトル・ヴァザルリ

幾何学模様を用いたオプティカルアートの先駆者。
革新的な色彩と描写は現代美術の作家達に強く影響を与え、
20世紀の重要な作家のひとりとして世界的に認められている。

1908 ハンガリーのペシに生まれる
1925 ブダペスト大学医学部に入学
1927 医者になることを断念し、ブダペストの美術学校に入る
1929 ブダペスト・バウハウスでボルトニークに学ぶ
1930 パリに移住
1944 パリのドニーズ・ルネ画廊の設立に参加、
以後同画廊を中心に活躍し、構成主義的抽象と本格的に取組むようになる
1951 モノクロームによる抽象表現の原理的追求をはじめる
1955 ブリュッセル批評家賞受賞。 ミラノ・トリエンナーレで金メダル受賞
1960 この頃から多彩色の華麗な画面構成がはじまる
1964 グッゲンハイム国際美術賞展で大賞受賞
1965 リュブリアナ国際版画ビエンナーレで大賞受賞。
サンパウロ・ビエンナーレで大賞受賞
1966「応答する眼」展(ニューヨーク近代美術館)に出品
1967 日本国際美術展で外務大臣賞受賞
1970 南仏ヴォ―クルーズにヴァザルリ財団本部設立
1976 ハンガリーのペクスにヴァザルリ美術館設立
1978 ヴァザルリ・センター(オスロ)設立
1981 西武美術館で大回顧展
近代建築や都市計画にも取組んでいる

ヴァザルリの作品へ






シュミアキン Michail Chemiakine


1943年 モスクワに生まれる。
1945年 父の赴任でドレスデンに移る。
1957年 ソビエトに帰りレーピン美術学校入学。
1962年 レニングラードで初個展。
1964年 エルミタージュ美術館で発表展。
1965年 クラブ・エトワールで版画イラスト展。
1966年 コンセルヴァトワール・リムスキー・コルサコフで個展。
1970年 レニングラード版画家協会加入。
1971年 パリ・ゴーベール画廊で版画展。
1975年 パリ・ニチドウ展グランプリ受賞。招待で日本訪問。
1976年 フランスで「亡命者ロシア美術展」。
1977年 「追放されたロシア美術展」。
1978年 モスクワ「六年後のシュミアキン」個展。 カナダ、スイスで個展。
1979年 ニューヨーク個展/反体制画家の大らかな風刺と呪術的世界。
版画はリトが主

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平塚運一  Hiratuka Unichi


ひらつか うんいち
1895年11月17日 - 1997年11月18日
島根県出身の版画家
1895年(明治28年)島根県(現松江市)に生まれた。
島根県立松江商業学校に入学したが
1913年(大正2年)に中途退学し、松江市役所に勤務
石井柏亭の洋画講習会がきっかけとなり
1915年(大正4年)に上京してデッサンに励み
さらに版画技術を会得。
1916年(大正5年)には、二科展に版画作品が入選
日本美術院展には油彩作品と水彩画作品が入選した。
1917年(大正6年)に帰郷して結婚し、公立小学校の図画教員となった
1927年(昭和2年)棟方志功を指導
1928年(昭和3年)棟方や畦地梅太郎とともに雑誌『版』を創刊。
1930年(昭和5年)国画会の会員となった。
1935年(昭和10年)東京美術学校の版画教室で教壇に立つ
1941年(昭和16年)日本女子高等学院や公立中学校でも教えた。
1946年(昭和21年)山根幹人らの協力で松江美術工芸研究所を開設。
1962年(昭和37年)渡米して、活動拠点をワシントンDCに移し、
アメリカ各地で個展を開くとともに版画の普及に努めた
日本国内においても地方での版画普及活動に熱心であり、
棟方、畦地、北岡文雄など日本を代表する版画家を育てた。
1977年(昭和52年)勲三等瑞宝章を受け、
1989年(平成元年)松江市名誉市民に推挙された。
長野県内の版画普及に携わった功績を称えられ、
1991年には須坂市に須坂版画美術館・平塚運一版画美術館が開館した。
1997年(平成9年)11月18日、102歳で逝去した。






北川民次 Kitagawa Tamiji


1894 静岡県に生まれ
1910 静岡商業学校卒
1914 早大中退、渡米
1917 ニューヨークでジョン・スローンに師事
学友の国吉康夫と知り合う
1921 アート・スチューデンツ・リーグ、卒
1923 アメリカ南部を放浪、キューバを経てメキシコへ
1924 メキシコのサン・カルロス美術学校に入る
1925 オルスコ、リベラ、シケイロスと知り合う
1931 タスコの野外美術学校校長に就任
1933 藤田嗣治が訪問
1936 一時帰国
1937 藤田嗣治の推薦で二科展に出品、会員
1943 瀬戸市に疎開
1949 名古屋動物園美術学校を開校
1951 名古屋市内に児童美術研究所を開設
1952 中日文化賞を受賞
1955 メキシコ再訪
1959 名古屋のビルに大理石モザイク壁画制作
1961 本間美術館で藤田嗣治、北川民次展開催
1964 現代日本美術展にて優秀賞を受賞
1966 飯田画廊、日動画廊(東京・名古屋)にて個展開催
1973 画業60年回顧展開催
1974 飯田画廊で(バッタの哲学展)開催
1978 二科会会長
1979 二科会脱会
1989 歿、享年95歳






恩地孝四郎 Onti Kousiro


おんちこうしろう
(1891―1955)

版画家。東京に生まれる。
1910年(明治43)東京美術学校西洋画科に入学
一時彫刻科に転じ、のち中退。
1914年(大正3)田中恭吉らと詩と木版画の同人誌『月映(つくはえ)』
を創刊し、日本最初の抽象作風を試みた。
1916年 室生犀星(むろうさいせい)、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)
らと同人誌『感情』を創刊し、その装丁も手がけた。
装本図案の分野でも大いに活躍する。
1918年日本創作版画協会が発足して会員となり、
1931年(昭和6)日本版画協会の創設に際して常務委員となる。
1936年国画会版画部に会員として加わる。
第二次世界大戦後サンパウロ・ビエンナーレ展ほかに出品、
日本版画の国際的進出に貢献した。
抽象、具象の両系列があり、
『ポエム』『フォルム』『アレゴリー』『リリック』『オブジェ』
ほかのシリーズ制作が多い。
『日本の現代版画』ほか多数の著書がある。






景川弘道  Kagekawa Koudo


(かげかわひろみち)

1914年鳥取市に生まれる。
幼少のころに家族で北海道へ移住。
日本版画院展、現代版画展、北海道版画協会展、日本アンデパンダン展、
モスクワ、北京、パリ、チューリッヒ、ブカレストなどの
日本版画展や国際版画展などに出品した。
画集に「版画・北の旅」「子どもの世界」(いづれも共同文化社)などがある。
北見市「ポンピリカ美術館」は北見駅より徒歩5分ほど。
生前のアトリエをそのままにした家を娘さんたちで運営している。
ポンピリカとはアイヌ語で小さい美しいものという意。
景川弘道さんが名づけた作品の家だ。
93歳で美術にささげた人生をとじる

景川弘道の作品へ






麻田弁自  Asada Benji


あさだ べんじ
1899-1984

明治32年京都生まれ
本名弁次
大正10年 京都市立絵画専門学校卒業
同年 第3回帝展入選 西村五雲に師事
昭和25年 第6回日展特選
昭和28年 日展審査員を務めた
昭和34年 日展文部大臣賞
昭和35年 日本芸術院賞
確かなデッサン力、深い色調で琳派の現代化
を思わす作風で知られる
また、昭和34年同志と京都創作版画協会を結成
京都創作版画の草分け的存在
昭和46年 日展理事
昭和49年 京都文化功労者
昭和50年 京都美術工芸功労者

代表作に「潮騒」などがある

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伊藤倭子  Ito Wako


(いとう わこ) 昭和20年<1945>生まれ 北海道出身
身の回りの静物を巧みなメゾチントの彫りと摺りで表現する銅版画家。
日本版画協会会員。全道展会員。

1964年 銅版画の試作を開始。
1966年 日本版画協会展。全道美術協会展。
1967年 全道美術協会展受賞。
1968年 渡仏。ニース・エコール・ド・デッサンで学ぶ。
1969年 ピストイア国際版画ビエンナーレ(イタリア)。
1970年 帰国。
1971-72年 再渡仏
1973年 銅版画三人展(サンフランシスコ)。全道美術協会展会友賞受賞。
1974年 北海道秀作美術展。
1975年 パサディナ女流版画展(米国)。
1976年 日本版画展(オーストラリア)。
1982年 日本版画協会会員。
1985年 中華民国国際版画展(台北)。
1988年 フランス・PCAギャラリー ニューヨークアート展。
1989年 フライヨスクギャラリー(フランス)・KOTOギャラリー(香港)にて個展。
1992年・96年 札幌三越ギャラリーにて個展。
2007年 ギャラリーアミカにて個展(福岡)。
2008年 神田日勝記念館にて特別企画展に出品(鹿追)。
2009年 札幌三越ギャラリーにて個展。

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久下貴史  Kuge Takashi



1948年京都生まれ。
1982年、「山藤章二の似顔絵塾」第1回大賞受賞。
以後文壇大御所の小説挿絵を数多く手がける。
1986年にニューヨークに移住するが
猫姿を借りてニューヨークの人々の暮らしぶりや
人間味を表現するというものがある。
移住後は得意とする人物、景色は言うに及ばず、
一緒に暮らし始めた猫たちをモデルにした作品など、
活発な制作活動を続け、日本での個展も
2001年から毎年1回の開催を続けている。
2009年からは、すっかり根を下ろしたニューヨーク生活を基盤に、
改めてマンハッタンの人々の人間味を猫で表現する というシリーズに取り組んでいる。






池田修三 Ikeda Syuzo


1922年 秋田生まれ
1945年 東京高等師範学校(現筑波大)芸能科卒
1955年 教職を経て上京し、木版画に専念
1957年 日本版画協会展出品・受賞
1959年 現代版画コンクール展・受賞
1968年 ビストイア版画jビエンナーレ展
1977年 日本版画協会退会 独自の活動を始める。

かわいらしい子供たち どこか懐かしい作品

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岩田専太郎 Iwata Sentarou


いわた せんたろう、1901年6月8日 - 1974年2月19日)は、日本の画家、美術考証家。

連載小説の挿絵を多く手がけ、数多くの雑誌・書籍の表紙で美人画を発表した。
昭和の挿絵の第一人者として知られる。

1901年(明治34年)6月8日、東京市浅草区黒船町(現在の東京都台東区寿)に生まれる。
菊池契月、伊東深水に師事する。
1919年(大正8年)『講談雑誌』(講談雑誌社)で挿絵を発表しはじめる。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で被災し、大阪に転居。
中山太陽堂の経営する広告出版社プラトン社の専属画家となる。
同年創刊の『女性』(小山内薫編集)の挿絵を描く。
翌年創刊の『苦楽』(直木三十五、川口松太郎ら編集)で、永井荷風らの連載小説の挿絵を描く。
1926年(大正15年)には東京に戻り、「田端文士村」と呼ばれた町へ引っ越す。
同年『大阪毎日新聞』に吉川英治が連載した『鳴門秘帖』に挿絵を描き「モダン浮世絵」と呼ばれた。
1937年(昭和12年)、映画『人情紙風船』の美術考証を手がける。
1939年(昭和14年)、映画『その前夜』(東宝映画京都撮影所作品)の美術考証を手がける。
1954年(昭和39年)、第2回菊池寛賞を受賞。
1974年(昭和49年)2月19日に死去。72歳だった。

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長谷川潔 Hasegawa Kiyoshi


はせがわ きよし

1891年-1980年
大正・昭和期に活躍した日本の版画家。
1918年 フランスへ渡り、様々な銅版画の技法を習熟。
特にメゾチント(マニエール・ノワールとも)と呼ばれる古い版画技法を復活させ、
独自の様式として確立させたことで有名。
渡仏して以来、数々の勲章・賞を受けたが、一度も帰国せずにパリで没した。

神奈川県横浜市に生まれる。
1910年 麻布中学校を卒業した後、葵橋洋画研究所で黒田清輝から素描を、
本郷洋画研究所で岡田三郎助、藤島武二から油彩を学ぶ。
また、バーナード・リーチからはエッチング技法の指導を受けている。
1913年 文芸同人誌『仮面』に参加、表紙や口絵を木版画で製作する。
日夏耿之介や堀口大學の本の装幀なども担当した。
1918年 版画技術の習得の為フランスへ渡航。
1919年 パリに到着するが、静養のため10月から南フランスに約三年間滞在。
その間、版画技法の研鑽を積む。そしてパリに戻り、
1923年 サロン・ドートンヌ等のサロンや展覧会に作品を出品。
1925年 初の版画の個展を開き、高い評価を得る。
1926年 サロン・ドートンヌ版画部の会員となり、パリ画壇で確固たる地位を築いた。
1939年 第二次世界大戦が勃発すると、フランス在住の多くの画家が帰国する中、
長谷川はフランスに留まるが、パリを離れることを余儀なくされる。
サルト県にある斎藤豊作邸に疎開、その後もボルドー、ビアリッツなどを転々とする。
1945年 パリ中央監獄、ドランシー収容所に収監されるも、
知人の助力もあり約一ヶ月後に解放される。
戦後、再び創作を再開。銅版画に没頭し、様々な技法を最高の域まで高める。
そして最後には自らが復活させたメゾチントに没頭、数々の名作を発表した。
1980年 パリの自宅で死去。89歳。






本間武男 Honma Takeo


1929年 北海道余市町にうまれる。
日本水彩画会宮崎信吉先生に師事。
電通イラストレーター・日宣美・日本デザイン協議会退会後
北海道放浪・東京銀座・日本橋・横浜・各地で個展。
北の北海道をテーマに全国各地で版画展開催。

1981年 紺綬褒章受賞。
1982年 新宿センタービル51階・朝日生命ギャラリー・池袋西武・銀座松坂屋・札幌三越パステル画展開催。
1985年 郵政省お年玉付き年賀はがき原作制作。
北海道の四季絵入はがき原作制作。
1987年 郵政省お年玉付き年賀はがき原作制作。
1993年 スペイン王立美術院から感謝状贈呈される。
1994年 郵政省50円切手「エゾシカ」原作制作。
1998年 郵政省80円切手「ナナカマド」「芝ザクラ」原作制作。
   
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渡会純介 Watarai Jyunnosuke


1936年 小樽市生まれ
1959年 北海道版画協会創立参画('73 退会)
1961年 全道展出品('62 受賞 '67会員)
1962年 日本版画協会展出品('73 会員)
1963年 春陽展出品('69 受賞 '74会員)
1970年 現代美術選抜展(文化庁主催)
1971年-72年 渡欧(パリ・フリードランデル工房)
1972年 日本の現代版画展(札幌オリンピック行事)
1973年 東北・北海道選抜美術展
1974年 若き現代版画展(パリ近代美術館)
1975年 「版と6人」結成(後、版と8人 '84)
1978年 日本現代版画展(メキシコ),第1回北海道現代美術展
1983年 北海道の美術'83('85 '87 '88),渡欧パリ アトリエ17
1986年 プリントアドベンチャー'86
1987年 美術北海道100年展(北海道近代美術館)

国内外で個展

収蔵 北海道立近代美術館、国立国際美術館
英国 大英博物館 、米国 Sandiego Museum

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井上公三 Inoue Kozo


1937年 大阪府生まれ
1960年 慶応大学美学美術史学科卒業

フランスに渡り、
アカデミー・ドゥラ・グランド・ショミエールで学ぶ。
以後今日までパリに在住。
近年は、冬は南伊豆、夏は南仏ドルドーニュ地方、
及びパリで制作している。
1968年以後、世界の多数の都市で個展を行うとともに、
壁画を中心に環境美術の世界においても活躍している。

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佐藤芳彰 Sato yoshiaki


1940年 北海道岩見沢に生まれる
1959年 写真製版所入社
広告代理店のデザイナーとして勤務
1973年 フリーに
北海道漫画集団設立に参加
現在も年1回の集団展に参加
1980年 日本漫画協会会員
1982年 ほっかいどう童画会設立に参加
北海道新聞社月刊TODAY表紙制作
1985年 第1回イラストレーション個展
1988年 第2回イラストレーション個展
1991年 上湧別オホーツク国際漫画大賞審査員特別賞受賞
1992年 第3回イラストレーション個展
北海道電力浪漫伝説イラストレーションカレンダー制作
1995年 読売国際漫画大賞優秀賞受賞
詩とメルヘン(サンリオ)掲載10数回

日本漫画家協会(参与)北海道支部長

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坂本直行 Sakamoto Tyokkou


1906年に郷士坂本家7代目当主坂本弥太郎、直井夫妻の次男として釧路市で出生。
1914年に札幌市に転居した。
直行は父の勧めで北海道大学農学実科に進学。
在学中は山岳部に在籍し、登山に親しんだ。
1927年の大学卒業後は温室園芸を学ぶために東京都の温室会社に就職。
その後札幌で温室園芸会社を起業するが、頓挫してしまう。
1930年に北海道大学の同窓とともに、十勝支庁の広尾郡広尾に農場経営のために転居。
同地の野崎牧場で働き牧場経営を学ぶ。
1936年に25町の土地を取得し、牧場を経営を始める。
その間ツル夫人と結婚し7人の子どもを儲ける。
北海道大学山岳部OBとしてペテガリ岳登頂計画に参加したほか、
北海道の自然をモチーフとした風景画や植物画を書き始める。
1957年に第一回の個展を札幌市で開く。
1959年に東京で個展の開催。以降画業に専念することになる。
1960年には札幌市にアトリエを構え、画題を求めてヒマラヤやカナダなどを旅行し始める。
1974年北海道文化賞受賞。
1982年に膵臓癌のために札幌市で死去。

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馬場怜 Baba Rei


後志管内余市町在住で、北海道を代表する墨象作家のひとり。

  1925年岩内町生まれ。
軍隊生活を経て教職に復帰。42歳で小学校長になり、5校の校長を勤めた。
戦後間もなく始めた書は宮城野書人会の加藤翠柳(仙台市)師を経て大沢雅休に師事。
28歳の時、書道芸術院展最高賞を受賞して中央書壇にデビュー。
翌年には審査員推挙賞を獲得して理事審査員に昇格している。

しかし、雅休の死や抽象画の影響を受けて文字から離れていく(非文字の墨象)
同院の流れに疑問を持ち退会。
「文字を書く」にこだわる墨人会に活動の場を求める。
「墨人賞」を2年連続獲得して会員に昇格。

一方、東京や札幌で個展を次々と開催。
書に対する姿勢を世間に問い、塩田慥洲、佐藤大朴と「北海道墨象会」を立ち上げ、
本格的に研究活動を開始。墨象の普及に努めてきた。
書家・怜の60年の軌跡を一冊にまとめた作品集がある。
デビュー作で雅休に「書家としては不可欠なスケールの大きさを持っている」と言わしめた。
「書道芸術院賞」受賞作「造像臨」「諸行無常」に始まり、
毎日前衛書展出品作で煉墨をキャンバス全体に厚く塗り込み、
生渇きのうちに引っかいた非文字の墨象「作品NO5」。
墨人展初出品で墨人賞を獲得した「命」は、「やせても枯れても元書道芸術院審査員・同院の名を汚したくない。自分そのものをたたきつけた。」と話す出世作。
「つち」は退職後7年目の作で、「年齢を重ねて物事が分かってきた中で自分の思いを素直に表現した。森田子龍に激賞されてうれしかった」という代表作だ。

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月岡芳年 Tukioka Yositisi


歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がけ、 各分野において独特の画風を見せる絵師である。
多数の作品があるなかで決して多いとは言えない点数でありながら、衝撃的な無惨絵の描き手としても知られ、 「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれる。
浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師であり、 門下からは日本画や洋画で活躍する画家を多く輩出した。
「最後の浮世絵師」と評価されることもある。
昭和時代などは、陰惨な場面を好んで描く絵師というイメージが勝って、 一般的人気(専門家の評価とは別)の振るわないところがあったが、 その後、画業全般が広く知られるようになるに連れて一般にも再評価される絵師の一人となっている。

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若山八十氏 Wakayama Yasoji


1903年北海道江差町に生まれる。
1941〜1942年頃卓上印刷機謄写版で版画を試作。
1942年謄写版作品を日本版画協会、国展、文展に出品し、以後普及に努める。
版画は恩地孝四郎に師事。
1963年ペーパークリーン版画を始める。
1966年孔版画集団「甃土会」を結成。
1983年逝去。

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今井俊満 Imai Tosimitu


いまい としみつ (1928年5月6日 - 2002年3月3日)
洋画家。
日本を代表するアンフォルメルの画家として、日本とパリを拠点に活躍する。
京都・嵐山に生まれる。荻太郎、梅原龍三郎、安井曾太郎などに師事。

旧制武蔵高等学校在学中から絵を描き始める。
1948年、新制作派協会展に入賞。
東京藝術大学油絵専攻で1年間派遣学生として学んだ後、ソルボンヌ大学文学部に学ぶ。
アンフォルメル運動を日本に紹介すると供に、アンフォルメルと日本画の融合にも取り組んだ。
1962年、現代日本美術展優秀賞受賞
1979年、紺綬褒章受賞
1992年、急性骨髄性白血病を発症するものの、精力的な創作活動を続けた。
1995年、フランス レジオン・ド・ヌール勲章受章
1997年、フランス芸術文化勲章(コマンドール)受章
2000年、末期がんで余命数ヶ月と告知される。
同年12月、東京・銀座の画廊で「サヨナラ展」を開催。

長男・今井アレクサンドル,次男・今井俊尭(としたか),三男・今井龍満(りゅうま)は画家。

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ダン・パルトゥシュ Dan  Partouche


1933年 パリにうまれる。
小さい頃から自然に興味を持ち、木々の見事な緑色や花の咲く様を
見て育った。
美術館に通い画家への道を選んだ。
1961年 ル・アーブルで絵を教える。
独自の空想、色彩、構成といった完全なる技術を持って
独自のスタイルを作り上げていった。
1966年からドイツの美術学校で教授を務める。
1975年 フランス画家展で銀賞。
1976年 ローマ・セブンヒル賞を受賞。

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ジャック デペルト  Jakku Deperuto


1936 年 フランス・シューレンヌ生まれ。
1953 年 サント・エティエンヌ国立芸術大学に学ぶ。
1954 年 ジュネーブ装飾美術学校に学ぶ。
1961 年 ジュネーブ、パリ、カンヌ、ロンドン、シカゴ、東京などで個展を開催。
1965 年 フランス政府給費留学生としてイタリアに滞在。
1976 年 東京・大阪にて個展開催。
1980 年 本格的にリトグラフの制作を開始。
1984 年 11月、初来日。

デペルトの作風の特徴は、
黒を基調としたデリケートな描線と
整然としたコンポジションにある。
落ち着いた色調の清廉な画面には、
静寂さと孤独感の中に暖かさと郷愁が漂う。

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佐藤国男 Sato Kunio


1952年北桧山町生まれ。
北桧山高校を卒業後、上京。
昼間は工場で製本や家具作りの仕事に携わり、
夜間は東洋大学の仏教学科で学ぶ。

その後、2年間東京や関東各地で大工仕事に従事。
昭和55年に函館へ戻り大工を生業にしながら、
宮沢賢治を題材とした版画を作り続けてきた。

1984年、絵本「銀河鉄道の夜」を出版。
以来数多くの著書を世に送り
また函館のほか東京など、全国の百貨店で個展を開催している。
7年前より山猫博士を名乗り、
北海道新聞に現代社会を風刺した辛口ながらも
ユーモアに富むエッセイと木版画の「山猫博士のひとりごと」を連載。

■主な作品
「銀河鉄道の夜」(北海道新聞社)
「大男ボルス」(北水)
「しでんとたまご」(福音館書店)
「もりのさんぽうた」(福音館書店)
「注文の多い料理店」(大日本図書)
「山猫博士のひとりごと」(北水)
「続 山猫博士のひとりごと」(北水)
「注文の多い料理店」英訳版絵本(R.I.C出版)
「したてやのプンブルばあさん」(文溪堂)

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吉田隆 Yoshida Takashi


1958年  長崎市生まれ
1982年  日本現代版画展
1983年  佐賀大学特設美術科美術専攻科修了
2005年  読売写真大賞デジタルアート部門1席
2007年  ’06、’07エスクァイアジャパン
       デジタルフォトアワードアマナ賞
長崎、福岡、韓国などでグループ展・個展多数

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清水敦 Simizu Atushi


1937年 東京都目黒区に生まれる。
1955年 画家を志す。赤城山に入り、油絵を描く。
1958年 伊藤清永絵画研究所に通う。
1963年 北海道へ渡る。独学で銅版画を始める。
1964年 全道展にて奨励賞受賞。シェル美術賞展にて佳作賞受賞。
1976年 北海道女子短期大学非常勤講師となる(〜'90)。
単身渡独。ハンブルグ美術館版画室にてビュランを学ぶ。
1990年 網走市に版画のアトリエ兼、木工、ガラスなどの
     多目的工房を備えた「森の家」を構える。

全国で個展開催。
詩画集「野の花」、
版画集「北の詩」「ふるさとの詩」なども刊行。
現在も網走にアトリエを構え、作品の制作に励む。

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大本靖 Oomoto Yasushi


1926年 小樽市生まれ。
1951年 明治大学商学部卒業
1959年 日本版画協会展会 友賞
1972年 日本版画協会展会 会員
1984年 札幌市民芸術賞
1996年 北海道文化賞受章

全道展会員

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アルフォンス・ミュシャ Alphonse Mucha


1860 現チェコ共和国の南モラヴィア地方のイヴァンチッツェに生まれる。
1879 ウィーンで演劇の舞台装置画家として働く。
1882 ウィーンから南モラヴィア地方のミクロフに移り、地元の名士の肖像画を描いて収入を得る。
1883 エマホフ城の図書室と食堂の絵を修復する。
1885 ミュンヘンの美術アカデミーに入学。
1887 パリの画塾アカデミー・ジュリアンで学ぶためパリへ赴く。
1892 歴史家シャルル・セニョボスの『ドイツ史の諸場面とエピソード』の挿絵を請け負う(97年まで続く)。
1894 年末、サラ・ベルナール主演の演劇『ジスモンダ』のポスターを請け負う(印刷所はルメルシエ)。
1895 サラと6年間の正式契約を結ぶ。
1896 最初の装飾パネル《四季》を制作。
1897 最初の個展を開催(会場はラ・ボディニエール画廊)。
1900 パリ万国博覧会でボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の壁画を制作する。
1900 オーストリア館、シャン・ド・マルスのアクセサリー部門などで作品展示。
1901 ミュシャが装飾を手がけた宝飾家ジョルジュ・フーケの店が開店(ロワイヤル通り)。
1905 自身のデザインを集大成した『装飾資料集』出版。
1906 アメリカへ渡り、教鞭をとり、多くの肖像画を制作。
1910 活動の拠点をチェコに移す(1913年までは定期的にパリに滞在)。
1911 プラハ市民会館市長ホールの装飾を手がける。
1918 チェコスロヴァキア共和国建国。最初の切手、紙幣、国章のデザインを手がける。
1928《スラヴ叙事詩》20点をチェコ国民とプラハ市に寄贈する。
1931 プラハ城の聖ヴィート大聖堂の大司教礼拝堂のステンドグラスを制作。
1939 ゲシュタポに逮捕される。7月14日死去。プラハのヴィシェフラットのスラヴィーン墓地に埋葬される。

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カシニョール Cassigneul Jean Pierre


1935年 ジャン・ピエール・カシニョールはパリに生まれる。
1952年 パリで初の個展を開催。
1954年 シャルパンティエ・アカデミー入学。
1955年 パリ美術学校入学。
1959年 サロン・ドートンヌの会員に推挙される。
1960年 1962年までドイツとアルジェリアに兵役のため滞在。
1965年 初のリトグラフ作品を制作。
1966年 東京の国際形象展に出品。
1983年 「カシニョール画集」(ド・フランコニー社)発刊。
1991年 ボリショイ・バレエ団のアメリカ、フランス公演ポスターを制作。
1998年 「カシニョールの世界」(講談社)発刊。






杢田たけを Mokuta Takeo


1910年〜1987年

1910年 兵庫県に生まれる。1987年没する
    日本画家であった祖父(僧侶)の影響で幼少より絵を描き、画家を志す。
1928年 から29年まで、小泉勝爾に日本画を学ぶ。
1930年 洋画に転向。鉄による造形を試みる。
1935年 第5回独立展に〈鉄屑等ある風景〉で初入選。以後第7回展を除いて毎回出品する。
1947年 独立展で独立賞受賞。
1949年 独立美術協会会員推挙。
1953年 東京へ転居する。
1953年から61年まで、日本国際美術展(東京都美術館)に出品。
1954年から66年まで、現代日本美術展に出品。
1976年  木版画集(不夜城・可愛花シリーズ)刊行。版画集(少女礼賛)刊行。
1980年 作品集(300部限定)刊行
1984年 「今日の造形木と紙」展(岐阜県美術館)出品。
1987年 胆管がんのため、東京都で死去。享年77歳。遺作が練馬区立美術館で特別陳列される。

独立美術協会会員
初期には穏やかな田園風景を多く描いたが、のち前衛的な制作へと移行し、
板、布、金属などの廃材を使ったアッサンブラージュで知られた。

杢田たけをの版に手彩の作品へ






笹島喜平 Sasajima Kihei


1906年 (明治39年)4月22日栃木県芳賀郡益子町に生まれる。
1927年 東京都立青山師範学校(現・東京学芸大学) 卒業。
1928年 浜田庄司に師事。
1935年 平塚運一に木版画を学ぶ。
1936年 棟方志功に師事(浜田庄司の紹介)。
1938年 日本版画協会第7回展に4点入選。
1940年 国画会第15回展に初入選 (「南豆の海」)。
1941年 文展に初出品 (「山道」)。
1943年 国画会会友に推挙される。
1945年 教職を辞し画業に専念する。
1946年 日展に出品。
1948年 日本版画協会会員となる。
1949年 国画会版画部会員となる。
1954年 高島屋で個展。 以後たびたび同所で個展開催。
1957年 東京国際版画ビエンナーレ展出品。
1960年 シカゴで開催された日本現代版画展に出品
1964年 ダブリン現代版画展に出品。 「笹島喜平版画作品集」 刊行。
1966年 クシロン国際木版画トリエンナーレに出品。
1967年  スイス国立美術館で開催された日本現代 版画展に出品。
1967年 サンパウロ・ビエンナーレ展に出品。
1969年 カルピ現代国際木版画展に出品。
1972年 ミラノ現代国際木版画展に出品。
1973年 現代美術選抜展で文化庁買上げ。 1976年 「笹島喜平画文集」 刊行。
1980年 「笹島喜平版画集」 刊行。
1989年 「笹島喜平版画展」 (町田市立国際版画美術館) 開催。
1992年 「笹島喜平版画展」 (奈良県立美術館) 開催。
1993年 (平成5年)5月31日死去(87歳)。

笹島喜平の木版画作品へ

笹島喜平の拓刷り版画作品へ






中島千波 Nakajima Tinami


略歴

1945 長野県小布施に生まれる
1969 東京芸術大学日本画科卒業
1971 東京藝術大学大学院修了
1987 NHKテレビ「きょうの料理」のテキスト表紙絵を3年間担当
1988 宮尾登美子著『きのね』(朝日新聞)の挿絵制作
1990 横浜三溪園臨春閣の襖絵「不二と桃花図」「松林図」完成
   日本美術院特待となる
1992 長野県に「おぶせミュージアム・中島千波館」開館
   永井路子「姫の戦国」(日本経済新聞社)の挿絵制作
1994 鶴岡八幡宮(鎌倉)斉館貴賓室床の間画 孔雀図制作
   東京藝術大学美術学部助教授に就任
1995 歌舞伎座緞帳「淡紅白梅」が完成
1998 日本美術院退院 無所属となる
2000 東京藝術大学美術学部デザイン科教授に就任
2002 NHKテレビ・趣味悠々「花を描く中島千波日本画基礎講座」に出演
2004 成田山東京別院 深川不動堂内仏殿 宝蔵大日堂天井画<大日如来蓮池図>完成
2006 小布施名誉町民に選出される
2011 NHKBSプレミアム「旅のチカラ」中国雲南省・玉龍雪取材を特集
   中野嘉之、畠中光享とともに公募グループ展「Artist Group風」を立ち上げる
2012 第1回「Artist Group風」(東京都美術館)
2013 新歌舞伎座緞帳<春秋の譜>完成
現在 東京藝術大学名誉教授 日本美術家連盟常任理事 Artist Group -風- メンバー

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中島千波の版画作品へ






谷内六郎 Taniuti Rokurou


略歴

(たにうち ろくろう) 1921〜1981

谷内六郎は,1956年(昭和31)から26年間,「週刊新潮」の表紙絵を担当しました。
その原画総数は1336点にのぼります。
1921年 東京恵比寿で,9人兄弟の6男として生まれる。
駒沢尋常高等小学校卒業の後、見習い工員などをしながら絵を独学で学んだ。
幼少より喘息で入退院を繰返すが,絵筆は離さず10代の頃から新聞・雑誌にイラストや漫画が掲載される
戦後、漫画仲間の鈴木善太郎、片寄貢らと銀座の街頭で政治風刺漫画を描く。
1945年 創刊された左翼系の新聞「民報」に4コマ漫画『真実一郎君』を連載。
1955年 『文藝春秋』臨時増刊「漫画讀本」に発表した「行ってしまった子」で第1回文藝春秋漫画賞を受賞。
1956年 『週刊新潮』の創刊号から表紙絵を担当し,81年の亡くなるまで26年間発表を続ける。
大丸東京店にて初の個展「谷内五郎作品展」を開催。
又,壁画やろうけつ染・絵本などの作品も多く残す。
ねむの木学園などの養護学校とも交流し,絵の指導などを行うなど福祉活動にも力を注いだ。
1958年 人形作家の熊谷達子と結婚。
1962年 作詞を担当した『遠い日の歌』が第17回芸術祭奨励賞を受賞。
1975年 横須賀市にアトリエを構える。
週刊新潮の1000号を記念して「遠い日の絵本 谷内六郎画集」を刊行。
1981年1月23日 急性心不全のため死去。59歳没。

横須賀美術館 谷内六郎館へ

谷内六郎の版画作品へ






コリン・ラッフェル  Colin Ruffell


ロンドンの画家。
ロンドン生まれ。
2つの美術大学で絵画・デザイン・版画を学んだあと独立。
2000年にはイギリスのファインアートギルドのメンバーに選ばれる。
後に会長の座に就く。

伝統と新しさの入り混じったロンドンを愛し、描き続ける画家。

コリン・ラッフェルの作品へ






ベルナール・シャロワ  Bemard Charoy


1931年 フランス、ロレーヌに生まれる。
1953 モンマルトルのアトリエ・ド・ジョワに入り、デッサン、油絵、リトグラフを3年間学ぶ。
1957 この年から主として、ポスター本や雑誌の挿絵の制作を行う。
1959 世界的に注目され、ヨーロッパ、カナダ、アメリカの大雑誌に続々と、
   彼のイラストや政治家の肖像画が掲載される。
1972年 東京で展示会(ベルナール・シャロワ展)を開催。
1983年 日本各都市で展示会。
1975 パリの他、フランス各地、ベルギー、ドイツなどで展覧会を開催。
1976 バーゼルの国際展に出品。
1982 東京で個展開催。
1999,2000,01,02年 来日、各地でベルナール・シャロワ来日展を開催。

ベルナール・シャロワの作品へ






カースティ・ウィザー  kasutei Wither


イギリス在住。
1986-90年 スコットランドの美術大学で学び、ファインアートの学位を取得。
1933年 初の個展を開催以来、その画風がまたたくまに評判を得る。
ロンドンの有名ギャラリーなどで、個展を多数開催。人気の画家となる。

本人曰く、「花の作品が多いが、花と背景花瓶との関係に気を使ってます。1番にカラー、次に構図を大切にしています。」

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相原求一朗  Aihara Kyuuichirou


1918年(大正7年) 埼玉県川越市に生まれる。生家は農産物の卸問屋で恵まれた環境だった。
1936年(昭和11年)川越商業学校卒業。東京美術学校進学を志すが、父親の逆鱗にふれ稼業を継いだ。
1940年(昭和15年) 21歳で兵役につき、旧満州やフィリピンを転戦。
1944年(昭和19年) フィリピンからの帰還途中、搭乗した飛行機が沖縄沖に墜落、重傷をおって漂流していたところを救出される。
1948年(昭和23年) 仕事の関係で大国章夫に出会い、抑えていた絵画熱が再燃する。
1948年(昭和23年) 猪熊弦一郎に師事する。
1950年(昭和25年) 「白いビル」で新制作展初入選。
1961年(昭和36年) 北海道に写生旅行に出かける[2]。満州での体験を甦らせ自身の原風景を発見する。
1963年(昭和38年) 「原野」「ノサップ」で第27回新制作協会展新作家賞受賞。 
1968年(昭和43年) 新制作協会会員になる。
1974年(昭和49年) 第1回東京国際具象絵画ビエンナーレ招待出品。
1987年(昭和62年) 埼玉文化賞受賞。
1996年(平成8年) 川越市名誉市民になる。
1996年(平成8年) 北海道河西郡中札内村の中札内美術村に相原求一朗美術館開館。
1999年(平成11年) 享年80 逝去。
2002年(平成14年)生地・川越に求一朗が自作を寄贈した川越市立美術館が開館。
同館内に相原求一朗記念室が設けられ、開館記念として「相原求一朗の世界展 自然の詩情」展が開催される。

中札内美術村 相原求一朗美術館へ

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松浦敬文  Matuura Takafumi


1950年 岐阜県に生まれる
第三文明展(4年連続出品)

アジア画廊 現代アジアアーチスト展
招待出品(シンガポール)
ビクトルユゴー文学記念館
絵画コンクール 優秀賞(フランス)
ビクトルユゴー文学記念館
絵画コンクール グランプリ(フランス)
ローマギャラリー11
CANOVACCIOVITA展招待出品(イタリア)

三越(栄本店)個展
以来、毎年各地にて個展

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伊東正博 Ito Masahiro


1966年(昭和41年)生まれ
北海道室蘭市出身
現在 札幌市在住
個展3回/グループ展5回
油彩画 無所属
北海道風景・花・心象・抽象画

小樽ギャラリー北紀行・主宰
〒047-0027
北海道小樽市堺町3-17
TEL/FAX 0134-27-8007

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後藤基一 Goto Motokazu


1950年 愛知県に生まれる

県展出品 数回
中部二科出品
グループ展 五人展「華」を開催
他、グループ展 個展等 数回
應美会会員

現在 名古屋市在住

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安田英明 Yasuda Hudeaki


1952年 和歌山に生まれる

武蔵美大卒
個展 和歌山大丸 3回
グループ展 数回
個展 大丸3回
應美会会員

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南桂一  Minami keiichi


昭和31年  大阪に生まれる
昭和56年  市展 入選
昭和58年  新鋭選抜展出品
昭和59年  岐阜「ロイヤル」にてグループ展
昭和60年  県展 入選
昭和62年  應美会会員になる
昭和63年  県美術館にてグループ展
 
現在 岐阜在住

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西村計雄 Nisimura Keiyu


にしむら-けいゆう

1909−2000 昭和-平成時代の洋画家。

明治42年6月29日生まれ。
昭和11年文展鑑査展に初入選
18年「童子」で特選。
19年「童心」で特選。
26年渡仏,画商カーンワイラーにみとめられる。
36年ルーブル美術館で藤田嗣治(つぐはる)と二人展をひらく。
46年フランス芸術文化勲章。パリで活躍。
平成12年12月4日死去。91歳。
北海道出身。
東京美術学校(現東京芸大)卒。

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菊地精二  Kikuti seiji


1909-1972.

北海道札幌市生。北海中学卒。
1927年上京。
同舟社洋画研究所に学ぶ。
佐伯祐三に師事。
1930年協会展に出品。
1931年より独立展に出品、
1933年 D氏賞、
1935年独立賞を受賞。
1940年独立会員となる。
1965年多摩美術大学教授。






小原稔  Obara  Minoru


おばら みのる

洋画家 独立美術協会

1921年 新潟県に生まれる
独立展に出品
独立展新人賞受賞
独立展独立賞受賞
独立会員記念賞受賞
独立会員功労賞受賞

独立美術協会会員
新潟県立美術館蔵
安井賞候補

現在  関西独立展事務局長
 
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稲垣昌紀  Inagaki  Masanori


1941年東京生まれ。
1959年旭川西高卒業。
1960年新ロマン派会員。
1963年武蔵野美術卒業。道展知事賞。
1965年道展会友。
1969年独立展出品。
1971年三軌会会員。
1972年安井賞出品。
1975年三軌会文部大臣賞受章。
1987年三軌会退会。

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水原正雄  Mizuhara Masao


1960年 愛知県に生まれる。
各公募展に出品。
( 第一美術、一陽会、應美会等 )
個展、グループ展 数回。
( 名古屋、岐阜、四日市等 )

應美会会員、名古屋市在住

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水野正雄  Mizuno Masao


1960年 愛知県に生まれる。
各公募展に出品。
( 第一美術、一陽会、應美会等 )
個展、グループ展 数回。
( 名古屋、岐阜、四日市等 )

應美会会員、名古屋市在住

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土屋茂  Tutiya Sigeru


1936年 名古屋に生まれる。
市展入選。
県展入選。
二科展出品。
独立美術展入選。
ヨーロッパ遊学。
第一美術賞受賞。
應美会会員。

岐阜「ギャラリー寿」個展
岐阜「ヨーロッパ」グループ展
岐阜「ギャラリー寿」水彩画展

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三岸節子  Migisi Setuko


1905年1月3日、吉田永三郎、菊の四女として起町(現在の一宮市)に生まれる
1921年 16才 淑徳高等女学校を卒業し、上京して洋画家・岡田三郎助に師事
1922年 17才 女子美術学校(現在の女子美術大学)に編入、三岸好太郎と出会う
1924年 19才 女子美術学校を首席で卒業、9月三岸好太郎と結婚
1925年 20才 春陽会第3回展に初出品、初入選。婦人洋画協会結成に参加
1932年 27才 参加していた春陽会から離れ、独立美術協会第2回展に出品、入選
1934年 29才 夫・好太郎死去(享年31)
1936年 31才 長谷川春子ら女性画家7人で七彩会を結成
1939年 34才 新制作派協会会員となる
1945年 40才 戦後初の個展開催(銀座・日動画廊)
1947年 42才 女流画家協会の創立に発起人として参加
1948年 43才 洋画家・菅野圭介と別居のかたちをとり再婚
1951年 46才 昭和25年度芸能(現在の芸術)選奨文部大臣賞受賞
1953年 48才 菅野圭介との結婚を解消
1954年 49才 初めて渡仏し、翌年帰国
1957年 52才 軽井沢の山荘で独居生活
1964年 59才 現在の神奈川県大磯に転居
1967年 62才 収集した好太郎の遺作220点を北海道に寄贈
1968年 63才 再び渡仏し、南仏カーニュに住む
1969年 64才 女流美術家による総合展〈潮〉の結成に参加
1974年 69才 ブルゴーニュの小さな農村ヴェロンに移住
1977年 72才 ヒマラヤ美術館(名古屋)が開館、三岸節子作品室が設置される
1983年 78才 北海道立三岸好太郎美術館が寄贈作品を基に開館
1986年 81才 秋の叙勲で勲三等宝冠章を受章
1988年 83才 尾西市(現一宮市)名誉市民に推挙
1989年 84才 帰国、神奈川県大磯に定住。
1991年 86才 三岸節子展<画業65年>開催(米・ワシントン女性芸術美術館)
1994年 89才 女性洋画家として初の文化功労者となる
1998年 93才 11月3日、尾西市三岸節子記念美術館が生家跡地に開館
1999年 94才 4月18日未明、急性循環不全により逝去(享年95)
2005年 市町村合併にともない一宮市三岸節子記念美術館に名称変更

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中西芳弘  Nakanisi Yosihiro


洋画家  中西芳弘

1956年 大分県に生まれる。
     武蔵野美術大学卒。
     無所属。

  リアリズム写実絵画






江成一郎  Enari Itirou


1927年 東京都生まれ。
1970年 寛永寺美術研究所終了。伊藤清永に師事。
1972年 白日会展に初出品、O氏賞受賞、会友に推挙。
1973年 各地で個展開催。
1974年より 日展、白日会展、日洋展に出品。
1975年 白日会準会員に推挙。
1979年 白日会会員。
1995年 逝去

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西尾 善積  Nisio Yosizumi


1912-1995 1912年(明治45)、京都市生まれ。
1939年(昭和14)、東京美術学校油画卒業。在学中の1938年、第2回新文展に初入選。
藤島武二、川島理一郎に師事。
1943年(昭和18)、第30回光風会展で、光風会賞を受賞。
戦後も、同会会員として審査員・評議員をつとめる。
1947年(昭和22)、第2回日展で特選受賞。
1958年から60年までフランス留学。
1970年(昭和45)、光風会退会。
1993年(平成5)、日展参与となる。
川島理一郎の流れを汲み明るいモダーンな画風、絵肌も爽やかで殊に緑色に独特な美しさがあった。
ハイカラな「西洋風景」「信州」「フラメンコ」など優作が多い。
穏和、静謐な人格は誠実に貫かれ敬慕する後輩の師表とする所である。
1995年(平成7)、12月4日、東京で歿。享年83歳。

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森田浩二  Morita Koji


1928年 熊本に生まれる。
日春展 出品。
熊本総合展 出品。
熊本総合展 入選。
個展・グループ展 数10回。
應美会出品。
應美会会員。
現在 沖縄在住

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半澤国雄  Hanzawa Kunio


1944年 山形県に生まれる。
市展入選。
県展入選。
新東美会員。
岐阜「ギャラリーりんどう」個展。
双樹会会員。
岐阜「ギャラリーポエム」個展。
應美会顧問になる。
應美会 依頼出品。
岐阜「ギャラリー鮎」個展。
県美術館にてグループ展。

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折田忠  Orita Tadasi


1949年 岐阜に生まれる

市展入選
岐阜にて5人展「樹」
岐阜「中電ギャラリー」にて個展
岐阜「ロイヤル」にて個展
岐阜にて5人展 その他数回
岐阜「日の丸」にてグループ展

應美会会員

折田忠の作品へ






野村正明  Nomura Masaaki


1952年 大阪に生まれる。

應美会会員

グループ展 二人展 個展等 数回

現在高槻市在住

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石川佳図  Isikawa Keizu


1939年 愛知県一宮市に生まれる

自由美術出品

新象展出品

個展・グループ展 数回

現在、愛知県一宮市在住

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樋口洋  Higuchi Hiroshi


1942年 神奈川県に生まれる
1967年  示現会展初入選、楢原健三に師事
1973年  示現会会員
1975年  日展初入選
1987〜93年 日展特選
1988〜94年 日展無鑑査
  文化庁選抜展出品
1996年  日展審査員(以後2000)
1997年  日展会員
2004年  日展評議員
現在
示現会常務理事
  日展評議員
  日本美術家連盟会員
  個展多数

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田中稔  Tanaka nen


一線美術会運営委員

1917  名寄市生まれ
1940  道展に入選
1942  独立展に入選('62退会)
1943  北海道新聞社に入社('72退職)
1943  聖戦美術展で聖戦美術賞、作品第七師団買上げ
1944  独立美術協会会友
1955  道展会員('96退会)
1962  一線展で資生堂賞('63会員賞、'65委員努力賞、'78上野山清貢賞)
1962  一線美術会会員('63委員、'75運営委員
) 1973  個展活動開始、以降北海道各地及び東京
1977  アサヒギャラリー現代洋画代表作家200人展に招待出品
1984  住居を袖ヶ浦市に移す
1996  死去(79才)

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工藤三郎  Kudo Saburo


1888 小樽生まれ
1894 小樽量徳小学校入学
1901 東京京北中学入学
1909 小寺健吉・長谷川昇らと小樽初の洋画展開催
1912 東京美術学校卒
1912 文展に入選('15褒状.'16)
1913 サンフラシスコ博覧会出品
1918 北海道開道五十年記念博覧会で銀牌受賞
1920 渡仏、サロン・ドートンヌなどに5回入選('23帰国)
1923 大阪三越呉服店で滞欧記念展覧会開催
1924 小樽に転居
1925 道展創立にあたり特別会員として参加
1932 死去 44才
1982 市立小樽美術館で「長谷川昇、小寺健吉、工藤三郎展」開催
2003  北海道新聞社編の「画集北海道・海のある風景」に作品掲載

*小樽洋画の先駆者として後進に慕われ、その指導にあたった
代表作「ビヤンクール(セーヌ河)」は道立近代美術館に収蔵
作品収蔵:北海道立近代美術館、市立小樽美術館

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清水康雄  Simizu Yasuo


増毛出身の洋画家。
神奈川県葉山町在住。
武蔵野美術学校(現武蔵野美大)卒業。

働きながら美術を学び、その後渡仏。
長くパリなど欧洲にアトリエを構えていました。
札幌ではひさしく個展を開いていませんが、
旭川では毎年夏に個展が開催されています。

清水康雄作品へ






加国哲二  Kakuni Tetuji


1960年-
大阪に生まれる。
大阪芸術大学卒業。
アカデミージュリアン修了。
1986年渡仏。
サロン・ドートンヌ、ル・サロン他出品。
コートダジュール国際画家大賞展受賞。
ドービル国際画家大賞展受賞。

在仏。
現在、無所属。

加国哲二作品へ






高橋益之  Takahashi Masuyuki


絵の心
くつろぎとやさしさに満ちた
自然は私達の夢のプロローグ

1944年 利尻生まれ
1977年 朔日会入選
1978年 新道展入選
1980年 元陽会入選
1981年 インターナショナルボザール入選
1982年 ル・サロン入選
1985年 元陽会会員
1989年 日本芸術作家賞
画廊企画展12回

高橋益之の作品へ






高橋英生  Takahashi Eisei


北海道稚内市出身の画家。
札幌を中心として東京、パリなどで活動し、
現在は稚内市上勇知南部にアトリエを構える。
若いころは前衛的な作品が多かったが、
のちにパリの街並みを描いた作品や風景画など作成し
高い評価を得ている。

1933年 稚内市で生まれる。
1962年 新道展で努力賞を受賞し、新道展会員となる。
1964年 現代美術家協会会員となる。
1976年 初の渡欧。以後、数回にわたりパリで活動する。
1978年 「北海道現代美術展」(北海道立近代美術館)に出品する。
1979年 近代美術協会展で奨励賞し、近代美術協会会員となる。
1980年 ル・サロン、サロン・ドートンヌに出品する。
1983年 「イメージ展」(北海道立近代美術館に)招待出品する。
1986年 近代美術協会委員となる。
1991年 札幌時計台文化会館美術大賞展に招待出品する。
1992年 1年間パリで生活する。
1994年 「札幌アヴャンギャルド゙の潮流展」に招待出品する。
1998年 札幌市民ギャラリーの「さっぽろ美術展」に出品する。
2003年 稚内市にアトリエを移す(あとりえ華)。
2005年 自宅兼アトリエ全焼。アトリエを再建する。
2006年 三越ギャラリーで個展を開催する。
2007年 ギャラリーシーズで個展を開催する。
2009年 Galleyy創で個展を開催する。
2010年 ギャラリーエッセで個展を開催する。

あとりえ華
北海道稚内市上勇知南部にある画家高橋英生のアトリエ。
平成18年にいちど火災で全焼したが、その後再建される。
1階はギャラリー、 2階はカフェとなっており、地域のサロンとなっている

高橋英生の油絵作品へ
高橋英生の版画作品へ






鈴木郁夫  Suzuki Ikuo


すずき いくお

1955年 岐阜に生まれる
主体美術展に出品
岐阜にて個展 2回
グループ展  3回
現在 應美会会員

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杉原志由美  Sugihara Shiyumi


1942年 北海道生まれ
20代の頃より画業に入る。
彼女の持つ明るく爽やかな色彩は
北海道の初夏を思わせる。
渡欧、個展・グループ展等
各団体を経て
現在「北彩の会」所属。

杉原志由美の作品へ






冨樫正雄  Togashi Masao


日本美術会設立委員
北海道生活派集団結成
題材 身近かな風景、働く人々

代表作
「堀内寿郎先生の像」
「春近い泉のほとり」
「春近い手稲山麓」

冨樫正雄の作品へ






児島裕子  Kojima Yuko


昭和40年 二紀入選
昭和46年 日仏現代展出品
昭和48年 神戸にてグループ展
昭和52年 大丸にてグループ展
昭和59年 松坂屋にて「花・華」展
昭和63年 應美会会員になる

  




池田秀郎  Ikeda Hiderou


1952年 広島県生まれ
瀬戸内の海と自然の中で育ち、貝殻収集と自然観察を趣味とする。
少年期に油絵の具の色彩に魅せられ、風景画を描きはじめる。
1975年 美術大学(油絵専攻)を卒業。後、象元会会員になる。
以後静物画を中心に制作活動をする。
その他、ペーパークラフト、古典絵画研究、ミックスプリント
(印刷と水彩の混合技法)などを制作。
1980年年代から風景を題材としていた頃の、古典技法の研究が
現在の静物画の基礎を支えています。

色彩をイメージに配し、リアルアクションペインティングという
技法で描いています。
季節の花、時の色をムーブメントに語らせ、安定した画面を心がけ
ています。






大野純一  Oono Jyunichi


1945年 岐阜に生まれる
中部二紀 出品
グループ展
個展
應美会会員

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近藤博史  Kondou Hiroshi


1951   徳島県生まれ
1968  大阪市立美術研究所にて学ぶ
1974  兵庫県美術家同盟展入選 兵庫県展入選
1975  神戸二紀展 入選兵庫県展入選 関西新制作展 入選
1979  以後札幌そごう、他にてグループ展、個展等
同年7月  神戸市から北海道に転居。

北海道美術振興協会・会員


速さばかりを求めがちな今の世の中
歩く早さで景色を見ることで再発見できるような
そんな作品を制作していきたいと思っています

近藤博史の作品へ






中本昭平  Nakamoto Syouhei


昭和 3年 札幌生まれ
昭和34年 道展 初出品
昭和35年 道展会員
昭和40年 二紀会同人
昭和46年 渡仏留学 パリ・アカデミーグランショ
ミエール・ブライヤ教室研修
イタリー、スイス、スペイン各地取材
ル・サロン・フランス国展出品受賞
国際展招待
昭和47年 札幌三越帰国記念展
昭和52年 二紀会同人賞
昭和54年 二紀会会員
昭和55年 フランス、スペインスケッチ旅行
道立近代美術館企画展招待出品
個展毎年開催

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小川久雄  Ogawa Hisao


1942年 岐阜に生まれる
市展 入選
中部一線美術会員
應美会会員になる
應美会展 奨励賞
岐阜にて個展
應美会展出品
飛騨高山展出品

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小林幸三  kobayasi kouzou


昭和22年 神戸市生まれ
市展入選
個展、グループ展数回
外遊
元日洋会
無所属






生田明  Ikuta akira


1952年 兵庫県生まれ
市展 入選 数回
県展 入選
グループ展 数回
個展5回
二人展 数回
外遊 4回
S・A・G会員






中村勝  nakamura masaru


昭和12年 兵庫県生れ
無所属
個展6回
グループ展3回
外遊3回

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小野州一  ono syuuichi


(1927年9月3日 - 2000年4月1日)は、日本の洋画家。
1927年(昭和2年)9月3日、北海道千歳市に生まれる。
少年時代から詩や絵画に興味を持ち、
北海道立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)卒業後、
上京し、独学で絵画を学ぶ。
1961年、北海道出身の画家たちと「北象会」を結成し、注目を集める。
1967年に初めてフランス・パリを訪れ、
1973年から1977年まで家族とともにパリに滞在。
1980年、「北海道立近代美術館賞」を受賞。
1995年に北海道富良野市に移住。
1999年に胃癌が見つかり、治療を続けたが、2000年4月1日に逝去。

小野州一の油絵作品へ






デュボア康子  Dyuboa Yasuko


小樽市生まれ
教育大札幌校特美卒
全道展会員
女流画家協会会員
日本美術家協会会員

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友成晴雄  Tomonari Haruo


1940年  大阪府生まれ
1967年  大阪市内の絵画研究所に通う。(ー1970年)
1971年  現代美術家集団(東京展)に初出展、入賞
現代美術家集団に在籍
1975年  現美展初出品 京都府知事賞
1976年  現美集団会員推挙 渡韓 日韓友好展出品
1978年  同会退会 82年光風会に所属(出品継続)
1982年  現代の裸婦展出品  示現会展出品
渡欧
1989年  Art'89に出品(パリ)
1990年  サロン・ドートンヌに出品(ー1993年)(パリ)
GalcrieT&Nに出品 (ニューヨーク)
1991年  サロン・ドートンヌ展入選 (パリ)
1994年  GALERIE SAINT ROCHで個展 (パリ)
2008年  GALERIE SAINT ROCHで二回の個展 (パリ)
無所属

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早瀬遼  Hayase Ryou


1955 岐阜に生まれる
県展入選
中部二科展 出品
飛騨高山展 出品
岐阜 「ギャラリー鮎」にてグループ展
岐阜 「ロイヤル」等個展 数回
應美会会員
現在 岐阜県在住

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関健造  Seki Kenzou


1948年 岐阜に生まれる
県展 入選
行動展 出品
岐阜にてグループ展
岐阜にて個展  以後数回
應美会会員になる
グループ展「白い風景」
應美会展 出品
飛騨高山展 出品

関健造の作品へ






阿部盛有  Abe Seiyu


1929年 岩手県生まれ。
1949年 岩手師範美術科(現・岩手大学)卒業。
1971年 二科展特選。
1972年 二科会会友、千葉県展美術会賞、造形展佳作賞
岩手県・知事・衆院議長作品買上。
1976年 産報現代洋画代表作家200人展、米国際展。
1981年 二科会会員。1982年二科70年史編集委員。
1986〜87年 読売小・中公募誌上展「母と子のアトリエ」審査員長。
1980年〜 モザイク壁画
(幼稚園・小学校・公民館・法人会館・教会祭壇・駅舎・医院
  /岩手県・神奈川県・東京都・千葉県)。
2000年 中国・世界学術貢献者大賞、世界文化名人成果金賞。
現在、二科会会員。

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野口光一  Noguti Kouiti


昭和16年 名古屋生まれ
日体大学卒
象元会会員
個展 数回
渡欧 2回






ジョーン・キング  Jone King


1958年 米カリフォルニア生まれ
デザインスクールに学び、
長じて油絵をはじめる。
サンフランシスコ・ロサンゼルス等で
個展多数。
東洋人の愛好家も多い。






豊島輝彦  Toyosima Teruhiko


1938年 北海道小樽市生まれ。
日本の洋画家。
北海道学芸大学(現北海道教育大学)特設美術課程卒業。
元札幌大谷大学短期大学部教授。
元北海道美術協会事務局長。
日本美術家連盟会員。
風景画を中心とした写実絵画で知られる。
1959年、学生時代に北海道美術協会展協会賞を受賞。
1962年から1969年まで母校の北海道札幌東高等学校に赴任し美術教師をつとめた。
この時代、阿部典英、米谷雄平らとともに美術グループに参加し創作活動を行った。
1967年 一水会賞を受賞。
その後、一水会会員として一水会会員賞を多数受賞した。
1972年からヨーロッパに滞在し作品を制作、画集も出版している。
帰国後は、北海道を拠点に創作活動を行う一方、
1979年から1996年の間、北海道美術協会事務局長として道展の運営や、
後進の育成指導に尽力した。
作風は、正統的な写実絵画が主だが、抽象画も手がけている。

受賞
1959年 北海道美術協会賞
1967年 一水会賞
1969年 一水会会員佳作賞
1975年 一水会会員佳作賞
1976年 一水会会員佳作賞
1977年 一水会会員優秀賞
1997年 北海道文化奨励賞

主な作品
廃船(1959年)
ずり山のある風景(1972年)
雄冬の海(1983年)
朝の札幌大通公園(1986年)
函館風景(1993年)

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新井康須雄  Arai Yasuo


1934年 神奈川県川崎市生まれ
1954年 光風展初入選
1955年 多摩美術大学卒業
1960年 光風会展プールヴー賞
1964年 光風会会友
1966年 日展初入選
1968年 光風会会員
1969年 ヨーロッパ取材 以降インド、モロッコ等取材

2010年 逝去

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鷲見憲治  Sumi Kenji


1919年北海道北見市生まれ。
1939年北海道札幌師範学校卒業。
1953年道派遣生として東京芸術大学美術学部油絵科修了。
同年道展会員、一水会賞。1956年一水会会員。
1972年一水会会員優賞。
1973年北見文化功労賞。
1988年画集『鷲見憲治画集』『素描と文』。
1989年個展(時計台画廊/札幌、兜屋画廊/銀座、高知県、韓国・晋州)
1991、97年紺綬褒章。
2006年六創美術館開設・開館記念展。






佐々木栄松  Sasaki eisyo


ささき・えいしょう 画家
98歳で死去。自宅は釧路市。
幼少より独学で 油彩などを学び、
道東の風土をテーマにした心象作品を制作。
釧路湿原を描いた数々の油彩は高い人気を集め、
「湿原の画家」と呼ばれた。
一方、画壇には属せず、
公募展にも出品しない
「孤高の画家」としても知られた。

佐々木画伯は湿原の絵画を中心に独自な手法で最晩年まで絵筆を取られていた。釧路駅構内にあった「釧路ステーション画廊」は氏の美術館であり、1987年の開業から閉鎖される2009年10月まで20年以上に亘り、展示を続けていた。 管理人は釧路へ度々訪れていたが、ギャラリーの存在を知ったのはだいぶ後から。列車待ちの時にたまたま訪れたが、湿原の作品以外にも生命力溢れる色使いを気に入り、何度か足を運んでいる。 いつもギャラリーは無人であったが、それが逆にホッとさせてくれ、釧路へ来た実感を味わえたものだ。佐々木画伯はギャラリー閉館後も高齢にも関わらず、創作を続けている話を聞いていたが天命が訪れたようだ。 釧路駅前の北大通には「ささき画廊」という老舗の画材店がある。そこには画伯の作品もあり、てっきりオーナーかと思っていたが、関係ないらしい。独自な作風は魅力的であったが、孤高な印象があり、殆ど知られることはなかったと思う。 釧路ステーション画廊がなくなって3年近くが経過するが、不思議なあの空間が好きだった。いつも受付に居り、佐々木画伯の作品を心底愛されていたYさんも訃報をどう思われているであろうか。






扇谷章二  Oogiya Syoji


昭和11年 樺太に生まれる
昭和33年 洋画家 荻原勇雄氏(独立展会員)に師事する。
昭和39年 第12回市民展に出品、最高賞の「市展賞」受賞。
第47回釧路美術協会展「市長賞」受賞。会友推挙。
昭和40年 第13回市民展に出品、「HBC賞」受賞。
第48回釧路美術協会展「市教育長賞」受賞。
昭和41年 第49回釧路美術協会展最高賞「協会賞」受賞。
昭和42年 第42回北海道美術協会展「奨励賞」受賞。
昭和43年 第51回釧路美術協会展 会員推挙。
昭和45年 第45回道展 会友推挙。
昭和48年 第48回道展「会友賞」受賞。
第2回釧路新聞社郷土芸術賞受賞。
昭和49年 第49回道展 会員推挙。
第35回一水会展「一般佳作賞」受賞。
第6回日展に「室内静物」出品、入選。
昭和51年 第36回一水会展 最高賞「一水会賞」受賞。
昭和52年 第39回一水会展 会員推挙。
昭和53年 「室内のある静物」が昭和53年度釧路市買い上げ作品となる。
昭和54年 第41回一水会展「会員佳作賞」受賞。 (以後56年、57年、62年、平成元年、平成2年と会員佳作賞受賞。)
及び日展入選を繰り返す。
昭和56年 ギリシャ、トルコ、中北部イタリア取材旅行
昭和58年 マジョリカ島とイベリア半島横断取材旅行
平成 7年 個展開催
平成 9年 北緯43度美術館 作品収蔵。
平成10年 日展入選10回を果たし第43回日展通常総会において「日展会友」に推挙。
釧路市文化奨励賞受賞。
道立釧路芸術館 作品買い上げ収蔵。
平成11年 釧路美術協会会長就任
平成17年 6月に個展を開催。
釧路市文化賞受賞。

現在 日展会友 一水会会員、道展会員、釧美展会員

作品収蔵
釧路市役所 道立釧路芸術館 北緯43°美術館
釧路市立日進小学校 釧路裁判所






菅野矢一  Sugano Yaiti


すがの やいち

1907(明治40)山形県に生れる。安井曾太郎に師事。
1941(昭和16)第5回一水会展に「K子」が初入選。
1947(昭和40)第1回美術団体連合展に「少女」出品。
1953(昭和28)渡仏、アカデミー・グランド・ショーミェールで
エドアール・ゴエルグ、アントニ・クラーベの指導を受ける。
1956(昭和31)選抜秀作美術展(朝日新聞)に出品。
1960(昭和35)一水会委員に推挙。
1962(昭和37)「山脈」(一水会展出品)が文部省買上げ。
1964(昭和39)現代日本美術展に「北の海」出品。
1977(昭和52)一水会常任委員に推挙。
1979(昭和54)日展文部大臣賞を受ける。
1982(昭和57)日本芸術院賞を受ける。
1984(昭和59)勲四等旭日中綬章を受ける。
1986(昭和61)日本芸術院会員に就任。
1991(平成3)6月没。享年83歳。

菅野矢一の作品へ






斎藤真一  Saito sinichi


1922(大正11)年、岡山県児島郡味野町(現・倉敷市味野)に生まれる。
尺八の大師範を父にもち、幼少の頃より芝居、
浄瑠璃、浪曲といった日本古来の芸能に興味をもつ。
岡山師範で岸田劉生の作風に惹かれてデッサンの勉強に励む
1941(昭和16)年、19歳のとき、上京して川端デッサン研究所に学ぶ。
翌年、東京美術学校師範科(現・東京芸大)へ入学。
在学中、学徒出陣で海軍に3年従軍する。
1948年、東京美術学校卒業。
戦後静岡県伊東高校に勤めるかたわら制作をつづる。
第4回日展に《鶏小屋》で入選を果たし、
以後、岡山、静岡などの学校で教鞭を執る傍ら
、 日展、光風会へ入選し、画家としての基盤を築きあげる
。 1959年、パリ留学。
ヨーロッパにジプシーなどの芸人を求めて放浪生活を送る。
フランス、イタリアを中心に、ヨーロッパを制作旅行
藤田嗣治と親交を結ぶ。
帰国後、津軽三味線の音色にひかれ、
東北地方を旅するうち瞽女(ごぜ)を知る。
1960年代から70年代にかけて津軽、北陸を旅して、 盲目の旅芸人「瞽女」(ごぜ)に出会い、
その後の彼の大きなテーマの一つとなった《瞽女》シリーズを手掛ける。
1971(昭和46)年、第14回安井賞展佳作に入賞。
越後、信濃に瞽女を訪ね歩き2年目に高田の杉本キクエさんに出会い、 多くの瞽女の遍歴した足跡を記録。
瞽女の心象の世界を描き続け独自の画境を生む。
『瞽女=盲目の旅芸人』(1972年・日本放送出版協会刊)は、 第21回日本エッセイストクラブ賞を受賞。
『越後瞽女日記』(1973年・河出書房新社刊)は、同年のADC賞を受賞。
人人会は5回展で退会。
1985(昭和60)年には、明治期に浅草、吉原に生きた遊女の実態を検証し、
《明治吉原細見記》を描き、
絵画シリーズとともに、『絵草子 吉原炎上』(1985年・文芸春秋刊)を出版し、
映画や舞台で広く上演される。
1994年9月18日没、享年72才。






伊藤正一  Ito syouiti


1942年 北海道斜里生まれ。
北海道風景画を描く人気画家。
札幌在住
無所属

北海道に住み続け、
北海道の良さを知り尽くしている。
その作品は色鮮やかでても爽やかです。

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多田博一  Tada Hiroiti


■ただ ひろいち■
1936年、香川県・高松市生まれ。
無所属。
絶展同人。
ヨーロッパ、インド、中近東、中国、中南米など取材。
個展多数。






木村茂  Kimura Sigeru



1950年 岐阜に生まれる
現洋会展 出品
現代美術展 出品
美しい風景展 第2席受賞
第1美術展 出品
岐阜「中電」にてグループ展「飛翔会」
岐阜県美にて「應美会展」「飛翔会」
現在 第一美術会員 現代美術協会会員
 
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大久保泰  Ookubo Tai


おおくぼ たい
1905年3月28日 - 1989年1月29日

日本の洋画家、美術評論家。

愛知県出身。
早稲田大学卒。
山本鼎に油絵を学ぶ。
1931年、ヨーロッパ留学。
帰国後国画会展、春陽会展に出品。
1939年以後、独立展に出品。
「裸婦」で岡田賞を受賞。
風景画を得意とした。

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遠藤ミマン  Endo Miman


苫小牧を代表する芸術家

苫小牧を拠点に国画会会員、
全道展会員

1913 早来町生まれ
1934 札幌師範学校卒
1940 道展に初入選('46雲井賞)
1941 国展に初入選('51褒状)
1947 全道展に出品('48市長賞)
1950 全道展会員
1954 苫小牧市社会教育功労者表彰
1959 国画会会員
1974 美園小学校を定年後、画業に専念
1989 苫小牧市郷土貢献者表彰
1992 北海道文化賞
1994 苫小牧美術協会から郷土貢献者賞
1998 地域文化功労者文部大臣賞表彰
2004 死去(90才)

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和田宏  Wada Hiroshi


1959年 岐阜市生まれ

自由美術展 出品
春光会展 出品
市展 入選
個展、グループ展、三人展等
岐阜、愛知で数回

應美会会員
岐阜市在住

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吉田敏之  Yosida Toshiyuki


1947年岐阜県に生まれる
アンデパンダン展、出品
新岐阜画廊4人展、開催
緑樹会展、出品
日の丸画廊(岐阜)にて個展
グループ展「花を描く」に出品
双樹会展、出品
應美会結成、應美会会員
飛騨高山展、出品
應美会展、出品






高野三三男   Kouno Misao


(こうの みさお、1900年3月30日 - 1979年8月15日)
東京府東京市深川区(現・江東区)出身
フランスと日本で活躍したアール・デコ様式の画家。

東京高等商船学校(現・東京海洋大学)を中退後、
1921年本郷洋画研究所に入所し、岡田三郎助に師事する。
1922年に東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科に入学する。
1924年関東大震災による復興のさなか
同級生の岡田謙三や高崎剛、後に妻となる岡上りうらと共に渡仏する。
渡仏後は、個展の開催やサロン・デ・ザンデパンダン、
サロン・ドートンヌ、サロン・デ・ナショナルなどの展覧会に出品し、
フランス画壇に認められるようになる
女性の寝室を描いた絵画(ブドワール・ピクチャー)や
コロンビーヌやアルルカンといったイタリア喜劇のモチーフを得意とし、
1930年フランス政府に買い上げられた《仮面舞踏会の夜》
1940年藤田嗣治とともに帰国。
以後 二科会展二科賞受賞、二科会会友。
一水会の会員として、毎年作品を出品し、中心的存在になる。
その他にも文展、日展等の審査員を歴任。
1954年には現代日本美術展で大衆賞を受賞する。
1979年肺血腫のため、品川の病院にて没する。






森崎幸  Morisaki kou


もりさき こう

大正14年大阪生まれ
独立美術展独立賞・同奨励賞
安井賞候補展出展
関西総合審査員
現代洋画選抜精鋭展入賞
独立会会員
平成7年没






千賀節子  Chiga Setuko


1948年 岐阜に生まれる
市展 出品
飛翔会展 出品
飛翔会会員
「花シリーズ」でグループ展

現在 加茂郡八百津町在住

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矢野恵子  Yano Keiko


昭和30年 岐阜に生まれる
昭和54年 市展入選
昭和56年 中部二科出品
昭和59年 岐阜にてグループ展
昭和63年 中部二科女流グループ展
平成元年 岐阜にてグループ展

矢野恵子の作品へ






朝隈敏彦  Asakuma Tosihiko


1954年 北九州に生まれる
県美術館グループ展 出品
飛翔会会員になる
市選入選
應美会会員になる

朝隈敏彦の作品へ






西条巧  Saijyo Takumi


さいじょう たくみ

昭和19年 神戸生まれ
元日洋会所属
個展、グループ展
無所属
神戸在住






榎本良一  Enomoto Ryoichi


えのもと りょういち
分野:画家 日本画

昭和5年、長野県南安曇郡生まれ。
日展入選。
彩栄会会員。
青峰会会友。
個展22回開催。






田中祥三  Tanaka Syozo


たなか しょうぞう
大正 6年 函館に生まれる
昭和10年 道展初入選 昭和13年 国画会展初入選
昭和14年 道展会友推挙
以後、国画会、春陽会、独立美術、二科会、
日本アンデパンダン展に出品
昭和34年 日展初入選、以後7回出品
昭和35-36年 インド、東南アジアに滞在
昭和37年 一水会会員推挙
昭和41-42年 中近東、イランに滞在
昭和45年 田崎幸廣助に師事
昭和45-47年 パリ滞在、ル・サロンにて受賞
昭和59年 ベニスに滞在
平成 3年 逝去

*出品招待
パリ、サロン・テール・ラテン
カンヌ、コートダジュール国際美術展
東京三越本店 エトワール現代洋画商品展
現代有名作家展

*個展
札幌、東京、広島にて開催

田中祥三の油絵作品へ

田中祥三の水彩作品へ






的場錠  Matoba jyo


1948年 岐阜に生まれる

一宮にてグループ展
岐阜にてグループ展
東美会入選
岐阜に個展
應美会会員になる

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藤原守  Fujiwara Mamoru


今回の作品は、「アドリア海とエーゲ海クルーズ」の旅を
中心とした作品となっています。

趣味のひとつの海外旅行。
世界遺産に魅せられ、毎年ヨーロッパへスケッチ旅行を
楽しんでいるそうです。
刑事時代もその才能を生かし容疑者の似顔を描いて事件を
解決に導いた経験もある藤原氏。
社会のお役に立つことを願い、チャリティー展を開催
などしています。

藤原守の油絵作品へ
藤原守のパピルス彩色作品へ






山岸正巳  Yamagisi Masami


1929年 1月18日、岩内町に生まれる
1938年 間宮勇氏に師事、水彩画を習う
1944年 第20回道展に《造船所》が入選。第21回展にも出品
1946年 上京、西村計雄にデッサンの教えを受ける
1947年 東京美術学校(現・東京藝術大学)油画科に入学
安井曽太郎教授教室に学ぶ
1953年 《人物》が第15回一水会に入選
1958年 札幌三越デパートで人物画個展。岩内町高台に画室を建てる
1960年 札幌丸善画廊で第2回個展。
1964年 札幌三越で個展
1965年 渡欧。パリに滞在し制作
イギリス、イタリア、スイスなどへスケッチ旅行
1966年 札幌丸井今井デパートで山岸正巳滞欧作品油絵個人展
1969年 「財界さっぽろ」「月刊政界」「月刊さっぽろ」等の表紙に掲載
1973年 共和町梨野舞納に画室を建てる
1975年 岩内郷土館壁画600号製作
この頃から年に数回「北方ジャーナル」表紙に作品が掲載される。
1977年 岩内商工会議所発行の「会議所ニュース」新年号の表紙を描く
(以後2001年まで毎年)
東急日本橋店で個展。洞爺サンパレス壁画《旅する人》600号制作
1979年 パリ・スイス・ローザンヌに3ヶ月間滞在。子どもをテーマに制作
NHKテレビ「北海道の窓―パリの子供を描く―」、NHKラジオの対談に出演
札幌三越エレガンス画廊で個展
1980年 大阪、松山の三越で個展
1981年 日本橋、横浜、名古屋、札幌の三越で個展
1982年 札幌市交通局に《北大構内》(100号)納入
北海道知事田中・町村・堂垣内三氏の肖像画制作(道庁蔵)
1983年 札幌・日本橋の三越で個展
1986年 札幌アートギャラリーさいとうで個展
1987年 札幌三越で個展
1989年 神戸三越で個展
1992年 8月1日、妻・静江が逝去
1995年 北海道銀行岩内支店で岩内商工会議所ニュース新年号掲載作品展
山岸が原画を描いた「レブンアツモリソウ」のふるさと切手発売
2001年 岩内ホテルうきよで「会議所ニュースを飾った二十四年」
展岩内商工会議所より「特別功労者感謝状」を進呈される
2004年 10月30日、岩内町で逝去

山岸正巳の油絵作品へ

山岸正巳の水彩作品へ






李文魯  Lee Moon-ro


リー・ムンロー

1957年 韓国 忠南生まれ
弘益大美術教育院終了
韓国美術際出品
現代写生会会員
中央文化センター会員

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国松 登  Kunimatu Noboru


国画会会員の洋画家

明治40(1903)年5月6日北海道函館に生まれる。
昭和2年 上京して帝国美術学校西洋画科で学ぶが、
昭和6年 同郷の洋画の洋画家三岸好太郎に出会い、のち師事する。
昭和7年 道展に出品。
昭和8年 第3回独立美術協会展に「池」で初入選。同展には昭和12年まで出品をつづける
昭和13年 国画会に出品し始める。
昭和14年 帝国美術学校を卒業。
同年第14回国画会展に「薔薇と少女」を出品して国画褒状を受賞。
同年第3回文展に「雨霽るる」で初入選。
昭和15年 第15回国画会展に「ぶろんど」を出品して岡田賞を受け、同年会員となる。
昭和20年 全道展を設立し、創立会員となる。
昭和34年 北海道文化賞(芸術部門)を受賞。
昭和36年 欧米を訪れる。
昭和52年 札幌市民芸術賞を受賞。
昭和57年 北海道新聞社主催により、札幌で「画学55年回顧展」を開催する。
その後間もなく「自のない魚」シリーズを描いた。
昭和30年代後半より「氷人」シリーズを描ぎ始め、
白、緑、青など寒色系を基調とする清涼感のある色調で、情緒豊かな作風を増した。 北海道立近代美術館で「風魔の心象−国松登展」を開催。
昭和61年 北海道新聞文化賞(社会文化賞)を受賞した。

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内藤千嘉  Naito Tika


1960年 岐阜に生まれる。

伊庭新太郎に師事。
京都市展出品。
第一美術展出品。
第一美術展 初入選。
第三回應美会展 新人賞受賞。
應美会会員推挙。
渡欧。
應美会展。
三法荘展出品。

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谷口 春彦  Taniguti Haruhiko


1942年 長野県出身

県展出品。
県象絵画推進会ジャパン支部長。
渡仏。
グループ展 3回。
現在 サン 美術会会員。 宝湖会会員。
上高地にモチーフを求める会会員。

アトリエ 兵庫県宝塚市光が丘

谷口春彦の作品へ






小坂 正次  Kosaka Syoji


1919年(大正8年)岡山県生まれ。

明治大学卒。
安井賞展・毎日現代展出品。
現代洋画精鋭選抜展金賞。
現代洋画精鋭選抜展銀賞。

新象作家協会創立会員。


小坂正次の作品へ






小林 昌郎  Kobayasi Masao


1933年(昭和8年)東京都生まれ。
明治大学卒業。
伊藤清永の師事。
白日会会員。
内閣総理大臣賞、白日賞、文部大臣賞を受賞など名だたる賞を受賞。
個展多数。

優しく多色な彩色で構成されたバラの絵で有名。


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吉田 正夫  Yosida Masao











吉田正夫の作品へ






坂本 宏  Sakamoto Hirosi


昭和33年 兵庫県生まれ。
県展入選。
市展入選。
個展、グループ展数回。
渡欧3回。
伊寿美会所属。

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別府貫一郎  Beppu Kanitiro


陽会展で春陽会賞。
国画会会員。作品が文部省美術展招待展に招待。
戦後、朝鮮戦争の最中に日本美術会委員長を務める。
一線美術会、新世紀美術協会会員。
平塚市美術館などに作品が所蔵されている。
一線美術会、新世紀美術協会会員。

1900年、6月19日、佐賀県生まれ。上京し、川端画学校洋画部に通い、藤島武二に師事。
1926年、春陽会展で春陽会賞。
1929年、イタリアに滞在、風景を中心に制作活動に取り組む。滞在中に林芙美子と出会う。
1933年、帰国
。 1936年、国画会展の招待出品としてイタリア風景10点が選ばれ、会員に推薦される。
1940年、国画会退会。
1951年10月、日本美術会緊急臨時大会で、委員長に選出。同年柳瀬正夢の7回忌に岡本唐貴らと出席。
1952年2月、日本美術会第5回大会で委員長に再選。事務局長は吉井忠。
1953年3月、日本美術会の委員長退任。
1955年、岡本唐貴。寺島貞志、村雲大撲子、石垣栄太郎、後藤禎二、山上嘉吉と点々会を創立。
1992年、7月13日死去。92歳。

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櫻田精一  Sakurada Seiiti


1910年-1999年
熊本県に生まれる。日本美術学校洋画科卒。1933-38年の間、朝鮮にて教壇に立つ。
1933年 朝鮮美術展覧会にて「早春の博物館」が特選・昌徳久宮賜賞を受賞する
1939年 帰国し上京する
1940年 日本美術学校講師に就任
1957年 約1年間渡欧する
1965年 日展審査員(72年、78年、84年、87年、92年)に就任
1976年 千葉県教育文化功労賞受賞
1980年 日展評議員となる
1986年 個人美術館《鳩聚苑》を建設する
1987年 小山敬三美術賞受賞
1987年 日展参与に就任
1991年 地域文化功労者文部大臣表彰を受ける
1992年 勲四等瑞宝章受章
1994年 紺綬褒章受章
1999年 逝去

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伊藤 正  Ito Tadasi


1915年小樽生まれ。洋画家。
写実を一貫して追求し続け、
「写実の求道者」と称された昭和の実力画家。
道展や日展、一水会展に多くの作品を出品し数々の賞を受賞。
1962年、「運河に沿う街」で日展特選受賞。
家族や身近な風景、フランスの町並みなどの作品を数多く描く。
1989年、歿。

師:中村善策
日展会員
一水会常任委員
北海道文化賞

作品収蔵 : 北海道立近代美術館 市立小樽美術館

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塙 賢三  Hanawa Kennzo


1916年 茨城県土浦市に生まれる。
1946年 二科展に初入選。
1950年 二科展35周年記念賞受章。
1958年 1960年まで欧米に滞在。
1962年 二科会会員となる。
1963年 安井賞展に出品。
1970年 サロン・ドートンヌ特別招待出品。
1978年 サロン・ドートンヌ会員、二科会常務理事となる。
1986年 死去。

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浅野天鍾  Asano Tensyou


1930年赤平市生まれ。
終戦の年の1945年、15歳で油彩を始める。
その後日本画に。
油絵も含めるとキャリア70年。
絵は殆ど独学という。
道展では会員にも。
新興美術院展で奨励賞、会員賞など受賞。
89年には文部大臣奨励賞。
新鐘会日本画塾主宰。

札幌市手稲区在住。

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後藤純男  Goto Sumio


1930年 千葉県東葛飾郡関宿町の真言宗住職の家に生まれる。
1946年 山本丘人に師事。
1947年 この年から5年間、埼玉県内の小・中学校で教職に就きながら創作を続ける。
1949年 山本丘人の紹介で田中青坪に師事。
1952年 再興第37回院展で「風景」が初入選。5年間の教員生活を終える。
1954年 日本美術院院友に推挙される。
1955年 この頃から1963年頃まで関西、四国の真言宗の寺を巡りスケッチ旅行をする。
1960年 この頃から1969年頃まで、北海道各地を取材。
1962年 再興第47回院展で「懸崖」が奨励賞・白寿賞・G賞受賞。このころ千葉県流山市に転居。
1965年 再興第50回院展で「寂韻」が日本美術院賞・大観賞受賞。日本美術院特待に推挙。
1969年 再興第54回院展で「淙想」が日本美術院賞・大観賞受賞。
1974年 日本美術院同人に推挙される。
1976年 再興第61回院展で「仲秋」が文部大臣賞受賞。
1979年 "現代日本絵画展代表団の一員として初めて中国を訪問。 これを機に、毎年のように中国へスケッチ旅行へ。
1986年 中国・西安美術学院名誉教授となる。
再興第71回院展で「江南水路の朝」が内閣総理大臣賞受賞。
1988年 高野山東京別院に襖絵「高野山の四季」を奉納。東京芸術大学・美術学部教授。
1993年 奈良・長谷寺に襖絵「夏冬山水」を奉納。
1995年 パリ・三越エトワールにて個展を開催。同帰国展を日本橋三越ほかで開催。
1997年 東京芸術大学を退官。北海道上富良野町に「後藤純男美術館」を開設。
1999年 東京都高幡不動尊金剛寺に襖絵「桂林山水朝陽夕粧」を奉納。
2000年 埼玉県松伏町名誉町民となる。上富良野町社会貢献賞受賞。
2001年 中国・西安美術学院研究棟内に「後藤純男工作室」が落成。
2002年 北海道上富良野町に「後藤純男美術館新館」が落成。北海道立近代美術館にて個展を開催。
2005年 "中国・湖南省帳家界へ取材旅行。 年末から2006年にかけ、東京・日本橋三越本店を皮切りに「喜寿記念 後藤純男展」を開催。
2006年 春の叙勲で「旭日小綬章」を受章。
2008年 「小海町高原美術館開館10周年記念 後藤純男日本画展」を開催。
2012年 「後藤純男美術館開館15周年記念 画業60年 後藤純男展」横浜そごう美術館で開催。
2014年 「日本画と書のしあわせな出会い後藤純男と日野原重明展」日本橋三越本店で開催。
現在、日本美術院同人、中国西安美術学院名誉教授。

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菊川多賀  Kikukawa Taga


日本美術院の同人で評議員の日本画家
1991年心筋コウソクのため、埼玉県新座市の新座病院で死去した。享年80。
明治43(1910年)札幌に土木建築業を営む父菊川竹次郎、母トリの次女
として生まれる。本名孝子。
大正12年豊水小学校尋常科を卒業し、北海女学校に入学。
大正13年一家が東京の渋谷区幡ケ谷に移転したため、麹町女学校の2年に転入する。
間もなく、眼病により失明状態となり、治療に専念するため学業を断念。
昭和4年父の友人だった清原斎に入門し、日本画を学び始める。
昭和12年頃から再び病状が悪化、以後10年間ほど療養生活をしいられた。
昭和22年、堅山南風に師事。
昭和23年の第33回院展に「閑日」が初入選する。以後、連年院展に出品。
昭和27年第37回院展「朝」、30年第40回「市場」、31年第41回「群像」、34年第44回「荷葉童心」が奨励賞
、 昭和33年第43回「海女」が佳作。
昭和36年第46回「祈」、37年第47回「森」、38年第48回「舞妓」は3年連続して日本美術院賞を受賞した。
昭和25年日本美術院院友、36年特待となり、39年には同人に推挙された。
昭和20年代には少女や母子を多く描き、昭和30年代には裸体群像、40年代には文楽や歌舞伎に画題を求めた作品を多く制作した。
みずからも、師南風が33年第43回院展に出品「応接間の人」のモデルとなる。
昭和47年第57回院展「鳴神想」は文部大臣賞。
昭和57年第67回院展「遥」は内閣総理大臣賞を受賞。
日本美術院では51年から評議員をつとめた。
八晃会、旦生会、生々会などにも出品。
昭和63年北海道立近代美術館で「生命の群像−菊川多賀展」が開催。

院展出品歴

昭和23年33回「閑日」、24年34回「少女」、25年35回「母子」、26年36回「初秋」、27年37回「朝」(奨励賞)、28年38回「帰路」、29年39回「収獲」、30年40回「市場」(奨励賞)、31年41回「群像」(奨励賞)、33年43回「海女」(佳作)、34年44回「荷葉童心」(奨励賞)、36年46回「祈」(日本美術院賞)、37年47回「森」(日本美術院賞)、38年48回「舞妓」(日本美術院賞)、40年50回「女人讃歌」、41年51回「文楽人形」、42年52回「スペインの踊子」、43年53回「訶利帝母」、45年55回「懐郷」、46年56回「衆生」、47年57回「鳴神想」(文部大臣賞)、48年第58回「転生」、49年59回「婦図」、50年60回「文楽」、51年61回「小宰相」、52年62回「ひとつの記録」、53年63回「歌舞伎印象」、54年64回「無量華1」、55年65回「無量華2」、56年66回「無量華3」、57年67回「遥」、58年68回「文楽人形(江戸時代)」、59年69回「道標」、60年70回「刻」、61年71回「幻」、62年72回「還生譜」、63年73回「転生2」、平成元年74回「華」、同2年75回「帰路」

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松浦満  Matuura Mituru


明治41年(1908)〜平成10年(1998)

日本画家。
島根県隠岐郡都万村に生れる。
松林桂月に入門。
帝展・新文展にそれぞれ4回の入選を果たす。
昭和9年(1934)、第15回帝展に初入選。
昭和22年(1947)、第3回日展で「隠岐の海」特選。
昭和26年(1951)、第7回日展で「港」特選。
風景画を中心に花鳥画も描き、
戦後は日展に出品を重ねた。
平成10年(1998)歿、89才。

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山本枝葉  Yamamoto Siyo


1975年 東京都青梅市生まれ。
1998年 東北芸術工科大学芸術学部芸術学科卒業。

1995年 二人展 ギャラリーユリイカ 
1998年 二人展 ギャラリーユリイカ
2001年 二人展 ギャラリーユリイカ
2009年 グループ展 「色彩」大同ギャラリー

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一原有徳  Itihara Arinori


版画家
小樽市 2010年10月1日、100歳にて逝去される。

1910(明治43)年、徳島県生まれ、2歳のときに虻田郡真狩村に入植。
1923年、小樽市に移住。登山は1931年頃から始め、北海道内の多くの山に登る。
著書には『北海道の山』、『小さな頂』など多く、句集も多い。
1951年頃から油絵を学び、その後石版画によるモノタイプを手掛け、
国画会展、日本版画協会展などに入選する。
また、銅、アルミ、ステンなどの金属凹版による独創的な版画は、
アメリカ、メキシコ、イタリア、オーストリーなどの美術展に出品され国際的にも高い評価を受ける。
全道展会員、日本山岳会会員。

主な美術展、モニュメント制作年譜

1960 東京画廊個展、朝日選抜秀作美術展
1961 サンパウロ・ビェンナーレ国際美術展
1962・64  東京国際版画ビェンナーレ展
1966 私家版「オィディン・ブース 或いは 核のない桃」
1977 東京・現代版画センター企画「現代の声」展
1980 東京・アート・フロント・ギャラリー個展
1983 アルバータ州立美術館「北海道の美術」展
1988 神奈川県立近代美術館個展「現代版画の鬼才・一原有徳の世界」
1989 ニュージーランド国際日本版画展
1993 アメリカ・サンタクララ クライトン美術館に出展
1998 「一原有徳・版の世界 生成するマチエール」を徳島県と北海道の近代美術館で開催
1998 3月7日 NHK「土曜 美の朝 版にならないモノはない」。
自宅工房にて、山根基世キャスターによる特別番組に出演し国内でも高い評価を受ける。
2010年10月1日 老衰にため100歳にして小樽で逝去される。
    
一原有徳の銅版画作品へ






ヒロ・ヤマガタ  Hiro Yamagata


画家、美術家。滋賀県米原市出身。アメリカ在住。

日本ではカラフルなシルクスクリーンアーティストというイメージが今なお強いが、
世界でのヒロ・ヤマガタはむしろレーザーやホログラムを使った現代美術家として知られており、
先端的なイリュージョニストとして現在も精力的に活動している。

日本居住時代(1948-72年)
1948年材木屋の父のもと6人姉弟の3番目として産まれる。
1955年、小学校j時代毎日美術の特別授業を受け、近所の寺の住職より老子・道教・禅などの教えを授かる。
1961年、中学校時代父に感化され、宇宙観測に熱中。詩の世界にも傾倒する。
1964年、高校時代。美術教師日本画家椙村睦親(すぎむらまさちか)に師事。公募で多数の受賞を果たす。
1967年、高校卒業と同時に椙村睦親へ入門する。単身で上京。広告会社でデザインやイラストの仕事に就く。
1972年、五海祐治、崔洋一、篠毅らと共同で「JIM」を渋谷に設立。
ヨーロッパ居住時代(1972-78年)
1972年、パリへ渡り定住。
1973年、パリの画廊と契約。同年、ウィーンで初の個展を開催。
以後、パリを拠点に様々なサロンへ出展。、ヨーロッパ各地で個展を開催。
アメリカ居住時代(1978年-現在)
1978年、ロサンゼルスの画廊と契約しロサンゼルスに移住。シルクスクリーンで、100色以上の多色作風によりその名を馳せる。
1983年、人類飛行200周年記念財団の公式ポスター作品に選ばれる。
1984年、ロサンゼルス市観光誘致キャンペーン公式作品を制作。ロードアイランド州が、9月21日を「ヒロ・ヤマガタの日」に定める。ウォリック市より名誉市民の称号が贈られる。東京で初の個展が開催。
1986年、ロサンゼルス市名誉市民に選ばれる。「自由の女神100周年記念」のための公式作品を制作。東京、大阪、名古屋、横浜、福岡で巡回展を開催。
1987年、ヤマガタ財団設立。同年、「自選山形博導画集」が出版。
1988年、「オーストラリア建国記念」「エッフェル塔100周年」などの公式作品、レーガン大統領肖像画を制作。
1989年、東京、静岡、名古屋、大阪で巡回展を開催。
1990年、英語版画集「YAMAGATA」が出版。「アメリカ移民200周年」、ベルリンの「フリーダム・キャンペーン」公式作品を制作。メキシコシティ国立美術館で個展開催。
1991年、「コロンブス新大陸発見500年記念」、世界陸上の公式作品を制作
1992年、バルセロナ・オリンピックの公式作品を制作。米国ウォルト・ディズニーアートクラシックインクと契約。金閣寺をモチーフに、京都「遷都1200年祭」の公式作品を制作。
1993年 ゴルフシ新シリーズの制作を発表。
1994年 「ヒロ・ヤマガタ全版画集」が出版。
1995年、トランタ・オリンピック全種目の作品を制作。
1996年、「アースリーパラダイス」展をシカゴで開催。「アースリーパラダイス」展をストックホルムで開催。
1997年、「アースリーパラダイス」展「エタニティー・オア・ファット」展「エレメントA」を各地で開催。アメリカ合衆国憲法制定200周年記念の作品「ウィ・ザ・ピープル」を制作。
1998年、「アースリーパラダイス」展「スカルプター・オブ・ライト」展開催。80円切手「おもちゃのチャチャチャ」郵政省より発行。
1999年、「アメリカン・リップス」展開催。「ローマイヤーライツ」を開催。米国ホワイトハウス設立200周年記念の公式作品を制作。 2000年、「アクティブ・ライフ」参加。「太陽系インスタレーション プロジェクト1」をヤマガタスタジオ(マリブ)で開催。
2001年、レーザーインスタレーション「NGC6093」を開催。
2002年、レーザーインスタレーション「クウォンタン・インジェクション」をペパーダイン大学(マリブ)で開催。
2003年、「ART&SPACE宇宙芸術展-ヒロヤマガタとNASAの世界」、「スーパーノヴァ3」展開催。「ヒロ・ヤマガタ原画」展を沖縄で開催。
2004年、「クウォンタン・フィールドX3」を開催。
2005年「メットリッピン」(東京)に参加し「セオリー・シックス」を発表。、「アース・ウォーター・ファイアー・エアー・フェスティバル」(南アフリカ・ケープタウン)に参加。 2006年、ペインティング作品「エアー」展をロサンゼルスで開催。インスタレーション「スカルプター・オブ・ライト」を開催。
2007年、ペインティング作品「トランシエント」展をロサンゼルスにて開催。

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佐藤忠良  Sato Tyuryo


日本の彫刻家。
新制作協会彫刻部創立会員。
生き生きとした女性像などをブロンズや木彫で表現した。
福音館書店版の絵本『おおきなかぶ』の挿絵なども手がけた。
桑沢洋子の親友でもあり、教育者として東京造形大学において
創立より多数の後進の教育に携わった。
女優の佐藤オリヱは娘。

1912年、宮城県黒川郡大和町落合舞野に生まれる。
6歳で父が死去したため幼少期は母の実家である北海道夕張で過ごす。
1925年、旧制札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)に入学。
1932年、上京し川端画学校にて学ぶ。
1934年、東京美術学校彫刻科入学。
1939年、美校卒業後舟越保武等と新制作派協会彫刻部の創設に参加する。
1945年から1948年までシベリア抑留に遭う。
1954年、第1回現代日本美術展佳作賞受賞。
1960年、第3回高村光太郎賞受賞。
1966年、東京造形大学創立と共に教授に就任。
1974年、第15回毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞
1975年 第6回中原悌二郎賞受賞、第3回長野市立野外彫刻賞受賞。
  1977年、第5回長野市立野外彫刻賞受賞。
1981年、フランス国立ロダン美術館で個展。
1986年、東京造形大学名誉教授。
1989年、朝日賞受賞。
1990年、宮城県美術館内に佐藤忠良記念館設立。
1992年、第41回河北文化賞受賞。
2011年3月30日、老衰のため東京都杉並区の自宅で死去。98歳没。

佐藤忠良記念館へ

佐藤忠良の版画作品へ
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トーマス・マックナイト  



トーマス・マックナイトの作品へ






マーク・ディヴィス  Marc Fraser Davis


(アニメーター)
1913年3月30日 - 2000年1月12日(満86歳没)
ウォルト・ディズニー・カンパニーに在籍していたアニメーターで、
ナイン・オールドメンのメンバーである。
カリフォルニア州ベーカーズフィールド出身。
出生地 アメリカ合衆国・カリフォルニア州ベーカーズフィールド
死没地 アメリカ合衆国・カリフォルニア州グレンデール
国籍 アメリカ合衆国
職業 アニメーター
活動期間 1935年 - 1983年

経歴
1935年スタジオへ入社。
白雪姫でクリーンナップを担当していた。
バンビ製作時に初期段階のスケッチデザインとして描いた絵を
ウォルト・ディズニーが気に入り、
ストーリー・スケッチ及びキャラクター・デザインに本格的に起用した。
そこで実力を発揮した後に、
シンデレラやピーター・パンのティンカー・ベル、
眠れる森の美女のマレフィセントとオーロラ姫を担当するなど、
数々の魅力的な女性キャラクターを生み出したアニメーターである。
また、101匹わんちゃん以降はディズニーランドの仕事に携わり、
カリブの海賊やホーンテッドマンションのコンセプト・スケッチ
など多くのアトラクションに関わった。

女性キャラクターの生みの親
ディズニー・スタジオ内では、数多くの女性キャラクターを
描いた生みの親として有名であり、
上記に書いてある通り事実白雪姫を除くディズニープリンセスの
シンデレラやオーロラ姫、ティンカーベル、クルエラ・ド・ビル、
マレフィセントなど悪役として登場する女性も担当していた。
また、女性以外のキャラクターはバンビを担当した。
また、このマークのように女性キャラクターの生みの親として
有名なのは、同じディズニー・スタジオに在籍している
アニメーターであるマーク・ヘンとグレン・キーンである。

マーク・ディヴィスの作品へ






マルク・シャガール Marc Chagall


シャガールは、最初の妻ヴェラとの結婚などを多く描き「愛の画家」との異名を持ちます。

1887年、帝政ロシア領のヴィテブスクの貧しいユダヤ人の家に、9人兄弟の長男として生まれる。
地元のユダヤ人の中学を卒業。ロシアの高校に入学し、同級生が描いた絵を見て衝撃を受ける。
キュビズムの彫刻家として知られるオシップ・ザッキンはこのころの同級生。
1906年、地元のユーリ・ペンの画塾に通うが、数ヶ月で辞める。
1907年、首都サント・ペテルブルクの美術学校でレーピンの指導を受け、 1908年から2年間、ズヴァンツェヴァ美術学校でレオン・バクストの指導を受ける。
1910年から5年間パリのラ・リュシュに滞在し、美術学校アカデミー・デ・ラ・パレットに通う。
1915年、母の病死でロシアに戻り、ヴェラと結婚、翌年娘イダが生まれる。
1920年代にステージ・デザインなどを手がけるようになる。
革命後、ユダヤの子供たちのシェルターで美術教師をしたり、芸術担当のコミッサールを努める。
1923年、パリへと移住。
1941年、ナチスの迫害を避けるため、フランスからアメリカへ亡命する。
1944年、最愛のヴェラが死亡。
1945年、イギリス人女性バージニア・ハガードと7年間同棲。
1947年、パリへ戻る。
1950年、南仏ヴァンスに永住することを決め、フランス国籍を取得。
1952年、ハガードと別れ、ユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚。
1973年、国立マルク・シャガール美術館が会館する。シャガール86歳。

マルク・シャガールのポスター作品へ
マルク・シャガールのリト版画作品へ






坂 坦道  Saka Tando


さか たんどう、1920年(大正9年)11月6日 - 1998年(平成10年)
日本の彫刻家。本名 青嵐(せいらん)

1920年(大正9年)11月6日、石川県珠洲郡内浦町恋路で生まれた。
父は油彩画家の坂寛二、祖父は日本画家の坂靄舟という画家一家で、
坦道も当初は画家を目指したが、色覚異常であったため彫刻の道に進んだ。
1930年(昭和5年)小学校3年の時に父の死亡により、母とともに北海道札幌市に移住した。
1938年(昭和13年)北海中学校(現在の北海高等学校)卒業。
1939年(昭和14年)東京美術学校彫刻科に入学。
1943年(昭和18年)、新文展(のちの日展)に初入選した。
同年学徒出陣により陸軍入隊、タイバンコクで終戦を迎え、10か月の捕虜生活の後日本に帰国した。
戦後は中学校の美術教諭や百貨店勤務のかたわら彫刻制作を行なう。
1964年(昭和39年)「青年像」が日展で特選を受賞。
1966年(昭和41年)には日展会員となり北海道を代表する彫刻家となった。
1964年(昭和39年)からは北海道女子短期大学助教授(翌年教授)となった。
1982年(昭和57年)には日彫展で「酔っぱらい」が西望賞を受賞し、同年札幌市民芸術賞も受賞した。
1976年(昭和51年)には代表作となる「丘の上のクラーク」を製作。
作家活動の一方で、北海道女子短期大学で長く教授を務め、文部大臣より短期大学教育功労賞を受ける。
1995年(平成7年)には同短大の名誉教授に就任した。
作風として道化師などの特徴的な人物像を得意としたが、
初期には世相を色濃く反映した人物像も制作していた。
1998年(平成10年)77歳で死去。
死後、遺族の所有していた作品群が能登町に寄贈される。
2009年(平成21年)能登町内浦庁舎に常設の坂坦道作品展示場が設けられた。

坂坦道の作品へ
羊が丘展望台 クラーク像へ






本田 明二  Honda Meiji


1919 北海道・月形町に生まれる
1932 札幌第二中学校(現・札幌西高等学校)卒業、と同時に上京し木彫家・澤田政廣に師事
1944 二度目の召集で、東京より旭川に戻り入営
1948 シベリアより復員し、札幌に定住。 自宅裏に、アトリエを増築
1949 新制作展出品
1951 全道美術協会会員,新制作展に「牛」 を出品
1952 初の個展(札幌・大丸ギャラリー)
1953 新制作展出品「黒い首」を出品、新作家賞を受賞
1959 札幌市立石山小学校に「平和と希望の子供」
1965 新制作協会会員
1967 「荻野吟子女子顕彰碑」(北海道・瀬棚町)
1968 「愛鳥の碑」(北海道・天売島)
1971 真駒内五輪記念公園の五輪小橋に「栄光」を設置(札幌市)
   北海道秀作美術展北海道立美術館賞「馬頭」
1973 札幌西高等学校構内に創立60周年を記念した「輔仁会会員戦没者記念碑」を設置
   苫小牧市開基百年を記念し苫小牧し総合体育館前に「おおぞらの像」
1974 駒ケ岳山麓の若駒苑シンボルモニュメントとして「若駒像」を設置
1977 札幌市東区区民センター前前庭に「手をつなぐ」を設置
1978 第一回玄の会・7人展出品、以降、1987年まで毎年開催(札幌・時計台ギャラリー)
1979 旭川市総合体育館前に「スタルヒン像」を設置
1980 東京・日本橋高島屋で個展(’83にも開催)
   網走市中央橋に「朝翔・夕翔」設置
   札幌市平岸開拓110年を記念し平岸小学校前庭に「みのり」設置
   札幌市ホクレンビル1Fロビーに「大地の詩」(陶板レリーフ)を設置
1981 開基100年を記念し豊浦町東雲公園に「明日を拓く」設置
   札幌市民芸術賞
1982 大和銀行ニューヨーク支店に「裸婦」(陶板レリーフ)を設置
1983 北海道新聞社本社きた玄関口に「大地の詩」を設置
   札幌市富丘小学校に「鹿を抱く少年」を設置
1984 月形町役場前に開町の祖「月形潔像」を設置
   三笠市中央公園に青少年記念像「子ジカを抱く少年」を設置
1986 札幌芸術の森野外美術館に「道標ーけものを背負う男」を設置
   北海道文化賞受賞
   北海道大学病院前に、財団法人協済会創立65周年記念像「母子像」設置
   大相撲ホクレン賞の本賞ブロンズ像「杜の守護神シマフクロウ」を制作
1987 札幌市中の島中学校に、「はばたけ小鳥よ」を設置
   北海道新聞社苫小牧支社前に「母子像」を設置
1988 千歳市立図書館ロビーに「北国の詩」を設置
   美幌町開基百年を記念して、美幌博物館前に「青空へ」を設置
1989 急性肺炎のため死去。享年69歳
   室蘭市入江運動公園に「翔」を設置
1991 札幌芸術の森美術館において「北の風土を刻むー本田明二展」開催

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本田明二ギャラリーへ






高塚省吾 Takatuka Seigo


たかつか せいご

1930年7月26日 - 2007年5月28日
日本の洋画家。美人画・裸婦で絶大な人気を誇った

岡山市出身
東京芸術大学で梅原龍三郎、林武、硲伊之助に師事。1953年卒業
同年、恩師で日本美術会の委員長を務めた硲伊之助の影響から
第7回日本アンデパンダン展(日本美術会主催出品。以後第11回迄出品)
新東宝撮影所美術課に勤務のかたわら「8人の会」を結成
1955年には谷桃子バレエ団の美術担当となり台本も書く
1956年NHK広報室嘱託となり、1968年まで勤める
1957年より小津安二郎監督映画のタイトルを担当するなど多方面に活躍
1970年代初めには、春陽堂版江戸川乱歩全集の表紙絵を手がける
1978年にはジャパン・エンバ美術賞入選
1979年曹洞宗で受戒
1980年『高塚省吾素描集おんな』を出版、裸婦美人画家としての名声確立
その絵はカレンダーやポストカードとなり画集は広く親しまれた

画集など
しらける 高塚省吾絵ッ声集 ブロンズ社 1970
Artist close-up高塚省吾 文芸出版 1984
高塚省吾作品集 芸術新聞社 1992
高塚省吾パステル画集 芸術新聞社 1993
高塚省吾作品集 2 光と風 芸術新聞社 1995
高塚省吾の絵の話 芸術新聞社 1996
高塚省吾作品集 3 まぶしい季節 芸術新聞社 1997
美神讃歌 BSSポストカードブック 美術出版社 1997
女 美術出版社 1999
あさきゆめみし 芸術新聞社 2000
いろはにおえど 芸術新聞社 2004
美(うま)しうるわし 芸術新聞社、2009

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安食慎太郎 Ajiki Sintaro


 1946年 島根県に生まれる
 1968年 武蔵野美術大学油絵科卒業
       卒業制作展最優秀賞受賞
       作品は大学美術館買い上げとなる
       独立展初入選
 1970年  独立展優秀作家選抜展に推薦され
       以後数回独立展出品
 1989年  文部大臣賞受賞
 1996年  兵庫県川西市民文化賞受賞
 
 【主な壁画制作】
 
 1991年 大阪府冨田林市文化ホール『すばる』
       6×25m制作
 1992年 埼玉県草加市福祉センター
       5×6m制作
       和歌山県大川茶屋11×15m制作
 1994年 島根県平田晁文化ホール『銀河橋』
       25×50m制作
 1996年 兵庫県川西市音楽堂『みつなかホール』
       8×25制作
 2004年 島根県平田市斐川町湖西西斎場
       ラウンジ14×4.6m制作
 2007年 一庫ダム展望台にダム湖を彩る
       生き物の壁画『美しいな川を・あついいな
       川で・ようこそ一庫へ』を制作

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スジャック・ラーマン 


シンガポールに生まれる。
奥様は日本人。
札幌の宮の森に住む。
現在はシンガポールへ帰国。

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田中忠雄 Tanaka Tadao


洋画家

元岸和田藩士の家に生まれ
牧師の父をもつ
占領下の日本を古代ローマ帝国に占領されたエルサレムに重ね合わせ、
聖書の主題に現代社会が抱える諸問題を見出し、
キリスト教美術の発展に多大なる功績を残した。

1903年 札幌に生まれる。父兎毛、母せい。
1911年 札幌農学枚で有島武郎が主宰する黒百合会の展覧会で初めて油絵を見る。
1914年 神戸に移住。翌年、転校した平野尋常小学校で小磯良平と級友となる。
1920年 兵庫教会で父より受洗。
1921年 京都高等工芸学校(現、京都工芸繊維大学)入学.
1924年 東京市の技手となり、震災後の復興に関する仕事に携わる。
1926年 二科展に初入選。前田寛治に絵の指導を受ける。
1929年 福岡組合教会牧師中村正路の長女志津と結婚。
1930年 絵の勉強のためフランス留学(32年帰国)。
1934年 父兎毛、岸和田で急逝。山岡家で葬儀を営む。
1945年 空襲により自宅焼失、札幌に疎開する。
終戦後、上京して向井潤苦らと行動美術協会設立に参加。
1949年 東京都北多摩郡久留米村に移転。
この頃よりキリスト教主題の作品を多く制作しはじめる。
1958年 武蔵野美術学校講師となる。
1960年 欧米へ長期旅行に出て約300枚のスケッチを行う。
1964年 日本美術家連盟理事長就任。
1969年 長男文雄氏との共著『名画にみるキリスト』(保育社)出版。
1974年 武蔵野美術大学を定年退職、名誉教授となる。キリスト教美術協会結成。
1976年 紺綬褒章受賞。
1977年 勲四等旭日小綬章受賞。
1995年 東久留米市の自宅アトリエで逝去。91歳。

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おおば比呂司 Ooba Hiroshi


おおば ひろし 1921年12月17日-1988年8月18日
日本の漫画家。北海道札幌市出身。

幼き頃から絵画・イラストの才能を発揮。
1942年12月、徴兵で陸軍入隊(航空隊勤務)となる。
この時の貴重な体験が飛行機デッサン創作に活かされる。
終戦後、退役し、北海道新聞社に入社。
1958年に独立し漫画家としての活動を開始。
漫画雑誌などに原稿を執筆し、
その独創的で温かみのある絵画タッチで人気を博し、
卓抜したアイディアと早描きぶりから
「輪転機」といわれるほどの実力を誇った。
読売新聞、報知新聞(現:スポーツ報知)などにも
イラストを掲載していたこともある。
1982年からオランダ・ユトレヒトに移住し、
1986年4月に帰国したが1988年8月に66歳で急逝した。

商業デザインの仕事も多く、
ホテイフーズの焼き鳥缶詰、
おたべ、中浦本舗(島根県松江市)の
どじょう掬いまんじゅうのパッケージ画も
おおばの手によって製作された。
また、大変な飛行機マニアでもあり、
全日空の時刻表の表紙イラストを手掛けたこともある。

おおば比呂司の作品へ
札幌市資料舘"おおば比呂司記念室"へ






松田敦 Matuda Atusi


まつだ あつし

昭和50年代より水墨画を始める。
その後、中国各地を精力的に取材し、
作品はもちろん、墨・紙等の画材の
研究を続ける。

やわらかな色彩と独特の筆法は
多くのファンの支持を得ている。

札幌在住。

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上野山清貢 Uenoyama Yiyotugu


うえのやま きよつぐ
1889年6月9日 - 1960年1月1日 日本の画家。

北海道札幌郡江別村(現・江別市)生まれ。
戦後は日展に出品。
北海道師範学校図画専科(現北海道教育大学)修了。
小学校代用教員として、図画のほか剣道を教える。
1911年上京、太平洋画会研究所に学び
黒田清輝、岡田三郎助に教えを受ける。
1915年作家・素木しづと結婚。
1917年しづが死去し悲嘆に暮れる。
1924年帝展初入選。
1926年より帝展特選を続ける。
1929年武蔵野洋画研究所を開く。
老衰のため死去。

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山口長男  Yamaguti Takeo


やまぐち たけお
1902年11月23日 - 1983年4月27日
洋画家。

山口は日本の抽象絵画の先駆者である。
1902年、当時京城と呼ばれた、韓国、ソウルに生まれ、
19歳まで同地で過ごす。
本郷洋画研究所で岡田三郎助に学び、
1922年東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。
1927年、同校卒業とともに渡仏。
フランスではピカソ、ブラック、それに当時渡仏中だった
佐伯祐三にも刺激を受ける。
また、彫刻家のオシップ・ザッキンのアトリエにも出入りし、
立体的な造形をも習得に努めた。
戦後、二科展の再結成にあたり会員として参加し、
1962年まで二科展出品を続ける。
1946年に京城を引き上げて上京。
1953年、日本アブストラクト・アート・クラブの創立に参加し、
1954年に会員としてニューヨークでのアメリカ抽象美術展に出品。
1955年に第3回サンパウロ・ビエンナーレ、
1956年に第28回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表として出品、
その後、グッゲンハイム賞美術展、
チューリッヒ市立美術館の「現代日本の絵画展」など、
国外での出品も広がる。
1961年、芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1982年、三雲祥之助の後任として、
3代目の武蔵野美術学園学園長に就任。

典型的な作品は、
黒系の地に黄土色または赤茶色系の大きな色面を配したもので、
いわゆる「ハード・エッジ」の抽象絵画とは違った、
温かみを感じる。






熊谷 善正  Kumagai Yosimasa


大正7年(1918)生 - 昭和62年(1987)没
岩手県出身
全道展・二科会会員
室蘭市文化連盟芸術賞受賞

昭和49年(1974)北海道立室蘭商業学校(道立室蘭商業高等学校)卒業。
(1936)室蘭日本製鋼所入社。
イタリア政府招待留学により国立ローマ美術大学に学ぶ。
昭和38年(1963)二科会展において特選。
昭和41年(1966)二科会展金賞受賞。
昭和47年(1972)カンヌ ビエンナーレ バンチュール展優秀賞受賞。
昭和48年(1973)エジプトカイロ国立美術館招待展出品。
パリのサロン ド オンヌ展で金賞受賞。

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小寺健吉  Kodera Kenkiti


1887-1977
1887年 岐阜県大垣市生まれ
1911年 東美卒
1912年 光風会展に出品
1914年 光風会展で今村奨励賞
1915年 文展褒状
1922−23年 渡仏
1927年 再渡仏
1928年 帝展で滞欧作が特選
1939年 光風会展審査員
1950年 日展審査員
1970年 日展参与
1977年 「小寺健吉画集」出版

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田辺三重松  Tanabe Miematu


1897年〜1971年
函館洋画壇の黎明期を支えた風景画家。
雄大な北海道の自然を愛し、雄渾な筆致で北海道の風景を描き続けた。

函館区大黒町(現・弁天町)に生まれる。
函館商業学校在学中に、日本画家、北條玉洞の指導をうけ、絵画に興味を抱く。
大正10年、函館で始めての本格的な美術団体、「赤光社」の創立に参加
また道展などにも出品を重ねる。
昭和3年、二科展に初出品初入選
昭和9年に新美術家協会会員に推挙
昭和18年には、二科展戦前最後の会員となる。
戦後、行動美術協会の結成に参加、創立会員となるほか、
全道美術協会の創立会員となり、道内画壇の指導的役割を担う。
昭和32年、東京に移住。
昭和42年、大雪山をスケッチ旅行中、網膜剥離により右眼を失明
その後も画業を続ける
昭和46年に北海道開発功労賞を受ける。
大胆な形態把握と鮮やかな色彩で、
雄大な北海道などの風景を描き、独自の風景画の世界を確立した。
現在作品は北海道立函館美術館で見ることができる。

田辺三重松の油絵作品へ
田辺三重松のペンデッサン・水墨彩色作品へ      






伏木田光夫  Fusikida Mituo


住 所 :札幌市南区在住
昭和27年 道展入選
昭和28年 全道展及び国画会展入選
昭和30年 全道展奨励賞受賞
昭和30〜43年 個展開催
昭和36年 全道展協会賞受賞
昭和37年 全道展会友賞受賞、全道展会員となる
昭和38年 国画会国画賞受賞
昭和44年 日本美術家連盟研究員として渡仏
昭和46年 帰国、滞欧作品展開催(札幌時計台ギャラリー、東京・日動画廊)
昭和46年 第4回北海道秀作美術展出品、以来、第9回まで出品
昭和47〜平成11年 個展開催(札幌時計台ギャラリー、東京・日動画廊)
昭和50〜平成7年 個展開催(東京・文藝春秋画廊)
平成10年 浦河町立伏木田光夫美術館開館
平成11年 札幌市民芸術賞受賞
現在
北星学園大学非常勤講師
道新文化教室アトリエF講師
三角帽子共同アトリエ講師






羽生輝  Hanyu  Hikaru


はにゅう ひかる
1941(昭和16)年・東京生 釧路在住

羽生輝ははじめ油彩を学ぶが、
釧路在住の日本画家・久本春雄との出会いが契機となり
日本画制作に進んだ。
新制作協会日本画部を経て、
創画会には創立時より出品しており、
平成5年には創画賞を受賞。
現在の道内日本画壇を代表する作家のひとりとして活躍している。

釧路周辺の秋から冬にかけての海浜風景をモチーフにした、
北方の風土性を強くにじませた作品を描いているが、
とくに近年は明暗のコントラストが強い、
ダイナミックな構図を特色としたものが多くみられる。






繁野三郎 Sigeno Saburo


明治27年(1894)生-昭和61年(1986)没
北海道栗山町出身
道展名誉会員

大正4年(1915)札幌師範学校(北海道教育大学)卒業
昭和5年 日本水彩画協会会員
昭和35年 北海道文化賞受賞
昭和54年 札幌市民芸術賞受賞

師範大学で菅原翠洲に師事
北海道における図画教育指導の第一人者として活躍した






木村荘八 Kimura Syohachi


きむらしょうはち
(1893―1958)

洋画家。
明治26年8月21日、東京・日本橋に生まれる。
父木村荘平は明治中期に牛鍋屋「いろは」を創業した当主。
弟に作家木村荘十、映画監督木村荘十二がいる。
京華中学校を卒業後、暁星中学仏語講座に籍を置き、文学・演劇に関心をもつ。
葵橋(あおいばし)洋画研究所に入って岸田劉生(りゅうせい)を知り、
1912年(大正1)フュウザン会の結成に加わり『虎の門(とらのもん)付近』
など革新的なフォーブ風作品を発表した。
また当時から文筆の才に優れ、批評や多くの西洋美術書の翻訳を始めている。
1915年劉生、中川一政(かずまさ)らと草土社を創立し、
毎年展覧会を開いて独特な写実様式に進んだ。
1918年院展洋画部に出品して樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞。
1922年春陽会の創立には客員として参加、のち中心的な会員として活躍した。
昭和初期の代表的作品『パンの会』『牛肉店帳場』などは春陽展に発表。
油絵のほか、『にごりえ』『霧笛』『東綺譚(ぼくとうきたん)』
などの挿絵にも優れた仕事を残した。
また、『風俗帳』『現代挿絵考』『東京今昔帳』など随筆も多く刊行した。
没後の1959年(昭和34)に遺著『東京繁昌記』の文と絵に対して
日本芸術院恩賜賞が贈られた。
演劇や映画の時代考証、小唄(こうた)や邦楽の権威でもあり、
書籍の装丁にも優れていた。
昭和33年11月18日没。






モーニナ・オリガ・エフゲーニエヴナ Monina Olga Evgenivna


ロシア連邦美術家同盟メンバー

1960年 モスクワに生まれる
1982年 モスクワ印刷大学挿絵科卒業
1992年 ロシア挿絵コンクールで賞状を受ける

ロシア、アメリカ、ポーランドなどでの展覧会に参加
多数の本の挿絵を手掛け、活躍中である
著名な挿絵画家E・モーニンを父に持つ






石岡剛  Isioka gou


1945 北海道芦別市に生まれる
1966 武蔵野美術大学卒業
1976 近代美術協会会員(〜’87)会員優賞2回 ル・サロン入選
1977 ル・サロン入選
1981 ル・サロン入選
1982 第1回 札幌そごう個展
1983 第2回 札幌そごう個展/第1回 船橋そごう個展
1984 第3回 札幌そごう個展/第2回 船橋そごう個展/新宿伊勢丹個展
1985 第4回 札幌そごう個展/第3回 船橋そごう個展
1986 第1回 横浜そごう個展/第4回 船橋そごう個展ドイツ国際美術展金賞
1987 第5回 札幌そごう個展/イギリス選抜美術展金賞
1988 第2回 横浜そごう個展/日中友好平和条約10周年記念展出品(北京)
1989 第3回 横浜そごう個展/日豪文化交流展出品(メルボルン)
1990 第6回 札幌そごう個展
1991 第7回 札幌そごう個展/第4回 横浜そごう個展
・・・第5回 船橋そごう個展/八王子そごう個展 石岡  剛画集出版
1992 千葉(柏)そごう個展/第1回滝川市美術自然史館個展
・・・市制70周年記念函館棒二モリヤ個展
・・・バルセロナオリンピック記念スペインシリーズ3景リトグラフ制作
1993 第2回滝川市美術自然史館個展
・・・第1回札幌東急個展/北海道シリーズ10景セリグラフ制作
1994 第2、3回札幌東急個展
・・・石岡 剛常設美術館 ル・プチ・ミュゼ「燦の館」完成
1995 第5回札幌東急個展/イメージサイズ展
・・・千歳空港ギャラリー個展/藤沢さいか屋個展
1996 第1回四日市松坂屋個展/第1回札幌丸井今井個展
・・・第1回郡山百貨店個展/第1回前橋スズラン百貨店個展
・・・第1回水戸京成百貨店個展/横須賀さいか屋個展
・・・釧路ささき画廊個展/千葉いちじょう画廊個展
・・・第6回船橋そごう個展/絵と書の兄弟二人展
・・・第1回東急多摩プラザ百貨店個展
1997 第2回四日市松坂屋個展/日本橋東急個展
・・・第2回札幌丸井今井個展/第1回旭川西武個展
・・・第1回大丸梅田百貨店個展/札幌三越水彩画個展
・・・第2回郡山百貨店個展/第2回東急多摩プラザ百貨店個展
1998 函館西武百貨店個展/第3回札幌丸井今井個展
・・・第2回前橋スズラン百貨店個展/第1回青森・むつ市百貨店個展
・・・第3回東急多摩プラザ百貨店個展
・・・第2回青森・函館友好記念個展
・・・浦和伊勢丹個展/第2回旭川西武個展
・・・画業30周年記念個展・芦別百年記念館/財界さっぽろ表紙採用
・・・北洋銀行カレンダー『窓辺の花』採用
1999 第2回函館西武個展/青森松木屋個展・赤平全龍寺個展
・・・藤沢さいか屋個展
2000 千歳空港ギャラリー個展/熊本鶴屋デパート個展
・・・静岡松坂屋百貨店個展
2001 川越百貨店個展/高崎スズラン百貨店個展
・・・前橋スズラン百貨店個展/川崎さいか屋百貨店個展
2002 香川県琴平町 画廊喫茶『朋友』個展

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榊原匡章 Sakakibara KYousyou


1940年宇治山田市、伊勢神宮神官の家に生まれる。
1951年まで伊勢神宮神事記録写真を長年写真撮影する。
伊勢神宮神事「伊勢神宮の塩作り」写真個展を開催。
東京渋谷「たばこと塩の博物館」にて個展。撮影フイルム1万点を
博物館に永久保存される。
東京駅内月光ギャラリーにて伊勢神宮風景写真展を開催
。 東京銀座キャノンサロンにて「伊勢神宮」の個展開催。
「週刊新潮」のグラビアページに記載するも伊勢神宮広報からクレームあり
始末書を取られる。
1951年勧業銀行の1月発売の宝くじ券の写真を記載するも伊勢神宮内宮と
外宮を間違えて記載。
10年間出入り禁止を言い渡される、以後伊勢神宮からは離れる。
伊勢神宮神域内の名水百選「天の岩戸」にて禊を始める。
神の啓示を受けて絵と書を描き始める。
東京小田急百貨店にて第一回絵画と書の個展を開催し、以後第十六回展まで開催。
世界一大きな絵本2m×3mで30ページ和綴じの絵本を福井県今立町依頼で絵と書を描く。
伊勢有料自動車道開通記念行事、2000ピースのジクソーパズルを企画制作。
1995年「全国古城絵巻五十撰」福井県丸岡城を5月6日から描き始める。
越前和紙を使用、全長270m幅2m30cm重量300kgの和紙に1城5mに墨で輪郭、赤、黄、紺、緑の色を使い、 現地の市民に色付けを手伝って頂き、全国50城の城を描く。
愛知万博に出展、絵巻を犬山市に寄贈。
「テレビ放映」みのもんた「今日は何の日」出演。全国の民放にて放映。
「雑誌記載」週刊新潮、週刊朝日、4×4マガジン、月刊「現代」で8年連載。
「星のしずく」CDをビクターから発売、祝詞を神殿で弾き語り演奏。
2009年7月28日から8月2日まで名古屋国際空港「セントレア」にて、
全国古城絵巻五十撰の絵巻、280メートル×2.30、重量300Kgを展示。
NHKテレビ全国放映、東海テレビ、各新聞社記載。

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